2009年12月27日日曜日

翼ある蛇

Bei Hennef


The little river twittering in the twilght,
The wan, wandering look of the pale sky.
This is almost bliss.

And everything shut up and gone to sleep,
All the troubles and anxieties and pain
Gone under the twilight.

Only the twilight now, and the soft 'Sh! ' of the river
That will last for ever.

And at last I know my love for you is here;
I can see it all, it is whole like the twilight,
It is large, so large, I could not see it before,
Because of the little lights and flickers and interruptions,
Troubles, anxieties and pains.

You are the call and I am the answer.
You are the wish, and I the fulfillment.
You are the night, and I the day.
What else? It is perfect enough.
It is perfectly complete,
You and I,
What more--?
Strange how we suffer in spite of this.

David Herbert Lawrence(1885-1930)

これはロレンスの愛の決定的な(crucial)瞬間の詩です。フリーダとの逃避行と二人の同棲を決定づけた文学史上有名な愛の始まりの詩です。上田和夫訳(弥生書房・世界の詩)です。

ヘンネフにて

小川が 夕ぐれにさえずっている
ほの白い 青ざめたいぶかしい空もよう
これは なによりもよろこびだろうか

あらゆるものが口をつぐみ 眠ってしまった
悩み 不安 苦痛は すべて
たそがれに消えた

いまはただ夕やみだけが そして永遠につづく
川のやさしいシーという音があるばかり

ついにわたしは あなたにたいする愛がここにあることを知る
わたしはそれをすべて見る それは夕ぐれのように完全だ
大きい 実に大きい これまで見ることができなかったのは
小さいひかりや またたき 妨害
悩み 不安 苦痛のせいだ

あなたは呼ぶ声で わたしは答える声
あなたは願望で わたしはそれの実現
あなたは夜で  わたしは昼
そのほかはなに?これで十分ではないか
完全無欠だ
あなたとわたし
これ以上のなにが――?

不思議だ それでいてわたしたちが苦しむとは?



この詩をどうして思い出したかというと、北川朱美の「メキシコの空」という詩を読んだからです。そこには次のようなスタンザがありました。

メキシコの小さな駅
ケツァルコアトルでのことだ

この詩もすばらしい詩でしたけど、私はケツァルコアトルから「翼ある蛇」のロレンスへとショートしてしまったのでした。

あとロレンスの生年と没年を調べて書いていて、ロレンスが死んだ1930年は平岡敏夫先生の生まれた年なんだということを思い出しました。(ですから、今日の私には焦点というようなものはどこにもないのです。)

2009年12月26日土曜日

鉢叩き

長嘯の墓もめぐるか鉢叩き

何にこの師走の市にゆく烏

芭蕉の師走の句を二句。はるか元禄の冬を思いながら、あれこれと書くべき原稿のイメージを考える。あの時を、この時に重ねる。素朴で無知な疑問だが、「鉢叩き」はまだ行われているのだろうか。見たいものだ。空也忌は11月13日というが、その時に京都の極楽院で念仏踊りが行われると辞書などにはあるが、これは芭蕉が去来と一緒に見た「鉢叩き」ではないだろう。似たものだろうが。

 大江健三郎の「水死」を読み終わった。大江自身の「沖縄ノート」をめぐる裁判などの経験が随所に取り込まれている。その終わり方はちょっと唐突な感もした。オープン・エンドな終わり方と言うべきか、まだ彼自身のモチーフのきっかりとした終焉というようなものではない。だれかの「水死」論を読んでみたい。

 この一月号から「現代詩手帖」の「詩誌月評」という欄を担当することになった。一年間の長丁場で息が続くかどうか心配だが、自分なりにやるしかない。この一ヶ月随分いろんな雑誌を読み、詩や短歌や俳句、評論などにも目を通した。これ自体は苦痛でもなんでもなく率直に言って面白い。これが一年間続くのだから楽しみだ!こんな多くの詩誌が発行されているのである、長い年月を数えている詩誌も多くあるし、近日発行された小冊子やノートのようなものもある。それらと対峙し学び、個々の作品の私の読みを提示していく作業、まずはそこから出発していこうと思っている。1月号はたぶん月曜日(28日)頃に店頭に並ぶはず。ご高覧を乞う。

2009年12月21日月曜日

晩年の仕事

なにもやりたくなかったから、年賀状を作ってしまった。奥さんと自分用の二種類を興に乗ってパソコンで作った。これなら人生で初めて年内に、しかも25日までに出せるかも(しかし、自信は全くない)。
 
 土曜日は息子たち、Troy一家と、我が家で忘年会兼クリスマス会?をやった。Madelineが寅年生まれで新年には12歳になる。立川の病院で生まれてもう12年か。そういえば、北海道の木村君ともそのときに電話で話したのだが、彼も寅年で還暦を迎える。福間さんは丑年だから今年がそうだった。Madelineも、その親たちとも長い付き合いになる。
 
 大江健三郎の「水死」という小説を、ここ2日間ぐらい読んでいるが、今日は全然読まなかった。面白いのかそうでないのか、あまりよく分からない小説だ。久しぶりに大江を読んでいるが、なんか自己の今までの小説への言及に充ち満ちているなあ。サイードの言う「late work晩年の仕事」とはこういう仕事を言うのだろうか?まだ読了してもいないのに、これは失礼な言いぐさだとは思うが。

2009年12月19日土曜日

望月裕二郎の歌集「ひらく」から

 昨日の授業で、今年後期の講義は来年一月の一回を残すのみ。講義の終わりに、去年の受講生で今は4年生の望月君が教室にいることを発見する。今年は他のものと重なって選択できなかったとのこと。卒業制作の短歌集が出来たのでと言って、一冊ぼくに持って来てくれたのだ。就職も某市役所に決まったという。このご時世に、よかったね、という。同人雑誌にも入ったか、作ったかしたとのこと。働きながら、好きなことできるのが一番だよと彼に言う。ぼくの詩集『樂府』を出して、サインしてくれというので、話してくれれば進呈したのにと言いつつ、なれぬサインなどしました。 以下望月君の歌集『ひらく』よりぼくの好きな歌をランダムに。歌集の後ろから前に引用してみる。

さしあたり永遠であれ人間の夜の舗道を伸びる白線

終電の窓が切り取る一瞬のおばさんの欠伸を見て僕も

落ち合えば君の隣に僕が立つ首から下のぼくのからだが

グリーングリーン歌う教室その横で先生言えり「泣きたいとき泣け」

つり革に光る歴史よ全員で死のうか満員電車

おお、われの口から出でし一行の詩がビルディングの間(あわい)泳げり

William Carlos Williams"This Is Just To Say"
朝食用冷蔵プラムを食べましたおいしく甘く冷たくゆるして

 小石川植物園
パピルスの葉に触れてみてわたくしがパンク・ロックを好んだ日々よ

 鎌倉
かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼はパンチパーマでピアス痕あり

東京は猫の町なり猫議員選挙があらば投票に行かん

空を飛ぶとは良き発想なりヒヨドリは羽翼をちょっと僕らに見せて

目覚めれば地球は今日も窓際に朝陽を引用して回りだす

伝えたいことの不在を伝えたい 便器、おまえは悲しくないか

朝刊がポストへ沈むとき僕に睾丸の冷たさは優しい

2009年12月17日木曜日

就活

 hさんは前回の出欠票を兼ねた授業の感想(リアクションカードと称している)に「周りがスーツだらけになってきて何となく気持ちが沈んで悲しい」と、授業とは関係ないが、自分の思いを書いてくれていた。彼女は英米文のたしか3年生だ。本当に、なんという社会、国なんだろう。大学の3年生で、ただもう就職のために奔走(スーツだらけ)するしかない、しなければならないなんて。そういえば、50名あまりのクラスの出席者のなかで、よくみると男性も女性もスーツ姿を見かけるのが多くなった。「いいよ、面接などの日程がわかっている人は前もって連絡してください、欠席にはしないから」などと頓珍漢なことを私は彼や彼女たちの前で話したりした。なぜなら企業の合同説明会が大学内であるということを知らなかったから、すべての授業が終わってから、もちろんいつもではないが。こういう例は恵まれた例だろう。多くは一日のすべてのエネルギーをかけて、どこかに「参上」するしかない。
 私は「文学講義、実作・実践講義」なるものを担当している。受講者の彼や彼女に詩の創作を課しているのだが、そこで「就活」をテーマとする作品もあらわれる「時世」になった。
 

昨日の話

最初の一杯で頼んだとりあえずのビール
食べられなかった茄子の一本漬に箸がすすむ
「珍しいね、スニーカーなんて」
つよしとは出会って半年だった
「流行っているからね」と
黄色くなった茄子の先を見ながら
卵と間違えて舐めた小学生のころを思い出した
「ビールはやっぱりまずいね」と
同時に入れたいつものボトルとジャスミン茶
「スーツ買ったの?」
賢人はいつものようにグラスを寄せるから
「明日から明日から」と
一気に飲み干す

気づいたら終電が出る時間

「また逃した」

どうやら僕は就活生らしい


 この作品は、いつもすぐれた詩を書くmくんにしてはあまり、というようなものだが、それでも、おもしろい。もっと考えるべきことはあるが、今晩はここまで。

2009年12月16日水曜日

鐘     杉本 徹(1962年生まれ。09年「ステーション・エデン」で歴程新鋭賞)

曇り空のクレマチスに
歌のうしろすがたを問う、と
あらゆる雑踏のどこかで人影がほそい
冬の、砂にまみれた膝も携帯も
心放つための野を
日々褪せてゆく野の色を
思いながら、道々の窓あかりに
……待ち望んでいた(ひたすら)
鳥の生涯に「なぜ」の音符がいくつ
灯されたとしても
聞こえない
ただ指の隙から不意打ちの軌跡が
陽の掟となってゆるくひとすじ
つたい落ちると
それが十二月の鐘の色――
バスのタラップを降りる音にも
振りかえってしまう
そう言って並木の葉が招いた
(……地球の夜を、許しなさい)
交錯する靴音は彗星をあこがれて
こうして、こんなに
空を人の胸のように抉り、消え去った


 朝日新聞の12月12日の夕刊の「あるきだす言葉たち」という欄に掲載された詩。一度読んだとき、なぜか心に残った。今日、仕事が終わって(パソコンの画面との格闘で目はしょぼしょぼ、気力ゼロ)帰宅してから、気になっていたので新聞を探した。あった。この人の詩集「ステーション・エデン」は読んでいない。読みたいと思った。
 この詩の私にとっての魅力について考えてみた。簡単に言えば、現代の万物照応とはこういうささやかなものだな、という感じ。「あらゆる雑踏のどこかで人影がほそい」ようにこの詩のなかでは、発話者(作中の語りの主体と言ってもいい)の影もほそくうすい。「膝や携帯」の擬人化もそんなにどぎつい感じがしない。好きなのは「心放つための野」という古くさそうで、そうでもない表現である。音符は灯されよ、鐘の色はつたい落ちよ。そういう中間部を経て、最後の部分の措辞。並木の葉のつぶやきと招きというこれも擬人法だ、(……地球の夜を、許しなさい)というつぶやきに意味があるわけではない、そうなのだが、読者にいろんな情感を抱かせる命令的な語法が最後まで小さく響くようでもある。交錯する靴音、というような措辞はどこか俳句的なイメージを生みだすが、それが彗星と照応して、地の音が空を赤くして一瞬のうちに消えゆく彗星の光芒となる。そして「空を人の胸のように抉り、消え去った」。もちろん、そこまでは行かない、「あこがれ」「こうして」「こんなに」。小さな、やさしい、光と音の世界すらも夢見られている……。
「曇り空のクレマチス」(このアリタレーションはうまい)の歌である。たぶん、そういうところにひかれたのであろう。

2009年12月15日火曜日

All's Well That Ends Well

今日、山の上の学校では、中学生の試験監督に当たっていたので、行くと英語のリーダーの試験だった。担当の先生がやってきて、リスニングのテープをかけた。聞くともなく聞いていると一カ所だけ聞き取れないところがあった。終わると、その先生が監督のぼくに「よろしくお願いします」と言って教室を出て行ったので、生徒の邪魔にならないように静かに机間巡視の真似をして、彼女たちの答案を覗き、リスニングの内容(それまで調子が悪かったのだが、最後にホームランを打ち、ゲームにも勝ったという話)を思い出すと、 終わりよければすべてよしAll's Well That Ends Well という部分が、正確に聞き取れなかったところだったということが分かったのだった。きちんと書き取りができている子も少なかった。中2にしては難しくはないか?でも授業で一回ぐらいは勉強したのだろう。 シェイクスピアにAll's Well That Ends Well という戯曲があったのを思い出した。子どもたちはこの言葉を覚えるとき、シェイクスピアとその戯曲のことも先生から習ったのかしら。戯曲の方は中学2年生の女の子にはたぶん、いやきっと非常に不適切な内容だから、説明のしようがないだろう。でも興味を持って、その戯曲を読む子もいるかもしれない、そうなれば、その子はそこから何かが始まるのを自分で知ることになるのか、いや難しすぎるか、やっぱり。

2009年12月9日水曜日

夜になると鮭は

 若い人たち三名と、国立で飲んだ。詩の話を脈絡もなく、延々としたような気がする。帰りは、一人で片倉まで、寝過ごしもせず、わりとまともな状態で帰還する。どんな話をしたのか、どんな話を聞いたのか、それがいつもおぼろげである。しようがない。でも楽しかったなあという感じはいつまでも残っていて、それが悪酔いもさせず、今朝もなんとか早く起床させ、仕事にも行くことができた、そのエネルギーになっているのであろう。
 
 話は変わるが、ぼくは自分の詩の朗読は下手だが、吉増剛増の真似は上手だと思っている。そういう詩のカラオケのようなものはないのかな、時々胸中の声を出したくなるよ。

ル・クレジオの話聞きたかったけど、忙しくて行けなかった。
平山郁夫が亡くなったが、友人は自分のことをかつて裏山行夫と称して、裏山にあたる高尾山のあれこれのルートを完全制覇したと笑いながら喋ったことがあった。
今年の1月に急逝した笹井宏之という若い歌人がいたが、彼の「ねむらないただいっぽんの樹となってあなたのワンピースに実を落とす」という歌がとても好きだ。
昨晩飲んだ若い人たちの感度の良さと優しさに還暦(を超えた)者は感動した。
毎度カーヴァーですみません、ちょっと大谷良太の生鮭のムニエルの詩を読み、カーヴァーのこいつは生きている鮭の詩を思いだしたので、それはAT NIGHT THE SALMON MOVEというタイトルの詩で、

AT night the salmon move
out from the river and into town.
They avoid places with names
like Foster's Freeze, A&W, Smiley's,
but swim close to the tract
homes on Wright Avenue where sometimes
in the early morning hours
you can hear them trying doorknobs
or bumping against Cable TV lines.
We wait up for them.
We leave our back windows open
and call out when we hear a splash.
Mornings are disapointment.

ついでに村上春樹の訳も書いておこう。

夜になると鮭は
川を出て街にやってくる
ファスター冷凍とかA&Wとかスマイリー・レストランといった場所には
近寄らないように注意はするが
でもライト・アヴェニュー の集合住宅のあたりまではやってくるので
ときどき夜明け前なんかには
彼らがドアノブをまわしたり
ケーブル・テレビの線にどすんとぶつかったりするのが聞こえる
僕らは眠らずに連中を待ちうけ
裏の窓を開けっぱなしにして
水のはね音が聞こえると呼んだりするのだが
やがてつまらない朝がやってくるのだ

とても、いいよ。読み返してみて、昔気づかなかった部分が見えてくる。「朝」は英語ではMornings なんだ。この複数形にこめられたニュアンスを村上は「やがてつまらない朝がやってくるのだ」という習慣的、繰り返し的な響きをこめて「…くるのだ」と訳したのだろうね。アメリカのbottom dogsのような生活者の夜の意識がここには幻想的に、ロマンティックに定着されている。これに大谷良太の「今泳いでいる海と帰るべき川」の情動のようなものを比較するとどういうことが言えて、どういうことが言えないだろうか。