2010年4月29日木曜日

思い、ウムイ、徳之島

 普天間基地の一部機能の徳之島移設の問題についての甲府の女性の投書(4月25日・朝日新聞・声欄掲載)を読んだ。島の反対集会や3町長の政府側との面会拒否によせて、「徳之島で要らぬものは沖縄でも要らぬ。そんな思いには至らないのだろうか。徳之島が基地の町にならなかったらそれで解決なのだろうか」と書かれている。その前に考えて欲しい。あの反対集会に参加した人々は単に自分たちの島だけがよければなどと考えて「基地反対」と主張しているのだろうか。古くは薩摩の搾取にあえいだ奄美の島として、また沖縄とともに戦後米軍の冷戦戦略の一端として53年まで分断支配されていた歴史、それまでもそうだったが復帰してからの困窮にたえた生活の経験、それらが「長寿、子宝、癒しの島に米軍基地はいらない」というスローガンに集約されているのではないか。普天間、沖縄の強いられている負担を、一番身近で同様な文化圏に属するものとして骨身にしみてわかるからこそ「反対」なのではないか。当然のことだが、このスローガンは沖縄のものでもある。問題は徳之島の民意や3町長の対応にあるのではない。日本駐留米軍基地の問題を含めて、アメリカの軍事戦略そのものとそれに対する同盟国(対等とはとても言えない)としての旧態依然とした対応(政権は変わったのではないか、変わったよね。)の仕方こそが問題なのだ。

(26日頃に書いたものだが、昨日の鳩山首相の徳田虎雄との会見などもあり、事態は予断を許さない。いずれにせよ、最終的に苦難を引き受けるのはそこに住んでいる名もない人々である。米海兵隊の基地移設を最終的に容認せざるをえないように諸々の強制が「腹案」裏にメディアも含めて、いや率先して論調が操作されているようだ。そのことに対して深い危惧と怒りを感じる。これは徳之島に生を享けた一人の人間としての思いでもある。)

2 件のコメント:

higuma55 さんのコメント...

その後、あの投書に反論するようなものが載らないのは変だなと思っていました。私も投稿してますが、もちろん質の問題もあってでしょうがボツです。それ以外にマスコミの作為と言うことがあるのなら、怖いですね。

ban さんのコメント...

兄弟で同じ投書に反応し、同じくボツになったわけですね。