「…少なくともぼくが詩を書きはじめた頃は、詩の世界に一種のコンセンサンス、あるいはオーソリティがあったと思う。それは戦後もじつに性懲りもなく続いてあった。それが七、八年前から崩れたという気もする。しかし根底から崩れたかというとこれも疑問で、マス社会、オーディオヴィジュアル社会に変わったことは認める。それならばいまは詩は瓦礫の時代なのかというと、そうともいえない。もっと壊すなら徹底的に壊れてしまったほうがいいんじゃないかと思うこともあるんです。たしかに瓦礫は大袈裟だけれども、そこまではまだいっていない。
詩というのはどんなマス状況になっても一人一人に向かう。詩は一種の直撃力ですから、受け取る人がいるか、いないかということです。詩というものはわずかな人に向けるメッセージであるわけです。同時に、やはり一般大衆、マスに向けられている。そういう矛盾した二面性をもっているのが詩です。すべて絵画も音楽もそうですが、ことさら詩というのはその二面性がおもしろい現れ方をする芸術ではないかと思う。ポップなものであると同時に、やはりパウル・ツェランではないけれども、壜の中のメッセージで、どこに流れつくかわからないという面もある。」
1990年、その死の2年前に、詩人は上のようなことをテープにむかって語っている。ここで語られている事情は、2009年の今はどうなっているのか。同じだろうか、それとももっと瓦礫化は進行しているのだろうか。詩という「芸術」の二面性は健在だろうか?変わらぬことは「詩は一種の直撃力ですから、受け取る人がいるか、いないかということです。詩というものはわずかな人に向けるメッセージであるわけです」という覚悟にも似た詩の本質のとらえ方であるようにも思える。
この本『センチメンタルジャーニー』(草思社)の詩人、北村太郎の命日は昨日10月26日(1992年)であった。近くの図書館から借りて、昨晩読み終わったところで、そのことを同書所収のの年譜によって偶然発見したのであった。この不完全な自伝をベースに、ねじめ正一の『荒地の恋』も書かれたのだろうが、北村太郎という人の自らを遠慮無く語る力にはねじめの小説は負けていると思った。それほど明晰で容赦ない自己解剖の試みの自伝である。
2009年10月27日火曜日
2009年10月24日土曜日
家、歌の家
前から計画されていたことだが、潮と郁さんの招待で二人の親たちの初顔合わせが上野の韻松亭という素敵な料亭で行われた。精養軒の前にある。よくこんな渋い所を見つけたものだ。郁さんのご両親は、この店を知ってはいたということだが、妻と私は初めてだった。二人の幸せを祈りながら、私たち「親」はよく話し、よく食べて、旧知の人のように仲良くなった。これからの「式」やらなにやらを、息子たち二人は気持ちよく乗りこえてゆくだろう。私たちも協力できるところはできるだけしたい、などということを親たちは話したのだった。この二つの「家」の顔合わせのために、郁さんは和服を着てきた。外国の人たちが何人もカメラを向けていた。息子は息子で、食事の前に、私たちにむかって、心のこもった挨拶を披露した。これにも吃驚した。この会の動機、これからの二人のこと、……。上野の森が秋色を濃くする一日の昼、私たちはこの若い二人の「覚悟」に触れたような気がした。うれしかった。
三家族?ということになるだろう(これから家族を形成する若い二人を入れると)、三家族はそれぞれに分かれて、妻と私は、たまたま今日から都美術館で開かれている「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」を見に行った。俊成から数えれば800年以上も続く「歌の家」である。この家に所蔵されている「文化」の巨大さ、それが貧寒とした中流以下の公家の家によって、ここまで守られてきたということを考えると、声も出ない。それを支えたのが、「歌の家」というプライドであったということ。本朝とつい書いてしまうが、本朝における「歌」のもつ力について何度でも思いを新たにしなければならない事柄である。
(古来風躰抄・俊成自筆)
(拾遺愚草・定家)
三家族?ということになるだろう(これから家族を形成する若い二人を入れると)、三家族はそれぞれに分かれて、妻と私は、たまたま今日から都美術館で開かれている「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」を見に行った。俊成から数えれば800年以上も続く「歌の家」である。この家に所蔵されている「文化」の巨大さ、それが貧寒とした中流以下の公家の家によって、ここまで守られてきたということを考えると、声も出ない。それを支えたのが、「歌の家」というプライドであったということ。本朝とつい書いてしまうが、本朝における「歌」のもつ力について何度でも思いを新たにしなければならない事柄である。
(古来風躰抄・俊成自筆)
(拾遺愚草・定家)
2009年10月19日月曜日
over the rainbow
Jacksonvilleから娘が送ってきた写真。仕事場の駐車場で写したということだ。
Somewhere over the rainbow
Way up high
There's a land that I heard of
Once in a lullaby
Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true
Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me
Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?
Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me
Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?
If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why, oh why can't I?
2009年10月12日月曜日
Self Pity
休みありとて、何のかひあることもえせず、ひとりいたづらなる朝の早歩きをのみ、自らに強ひるかのごとく、秋桜や稲穂のさきの野分に倒れたるをあはれびつつ、歩(あり)くこそ徳なき男(をのこ)の楽しみなれ。
そのかみは20年代の英国の流人(exile )ロレンゾの 詩を何編かひもときぬ。なかにいと短き詩あり、
ネット(網世界)をgoogle it(閲)するに、以下のような和訳有り。
訳の巧拙は問はず、この詩の問はんとするところをしばらく彷徨せん。
かかる短詩の陥りやすき弊は処世訓の卑俗さならんと思ふに、この詩もその弊から自由ならざるやうに見ゆれども、いかにや葦編三たび絶つの気で繰り返し読むに、話者の気稟の尋常ならざる高さを自づと感得するはわれのみならんや。(人間中心主義(anthropocentrism)の批難やそこから敷衍さるる現代環境問題などの「問い」はここでは論外として扱はず。)
(ルサンチマンや自己憐憫の感情ほど、ロレンゾなる男が嫌悪した感情はなかった)とお里がしれたところで、今日は終り。
そのかみは20年代の英国の流人(exile )ロレンゾの 詩を何編かひもときぬ。なかにいと短き詩あり、
Self Pity
D.H.Lawrence
I never saw a wild thing
sorry for itself.
A small bird will drop frozen dead from a bough
without ever having felt sorry for itself.
ネット(網世界)をgoogle it(閲)するに、以下のような和訳有り。
自己憐憫
私は、自分自身を哀れむ野生の生き物を見たことはない
小鳥は凍え死に枝から落ちても決して自分自身を哀れとは思わない。
訳の巧拙は問はず、この詩の問はんとするところをしばらく彷徨せん。
かかる短詩の陥りやすき弊は処世訓の卑俗さならんと思ふに、この詩もその弊から自由ならざるやうに見ゆれども、いかにや葦編三たび絶つの気で繰り返し読むに、話者の気稟の尋常ならざる高さを自づと感得するはわれのみならんや。(人間中心主義(anthropocentrism)の批難やそこから敷衍さるる現代環境問題などの「問い」はここでは論外として扱はず。)
(ルサンチマンや自己憐憫の感情ほど、ロレンゾなる男が嫌悪した感情はなかった)とお里がしれたところで、今日は終り。
2009年10月11日日曜日
相模川 Jam session
昨日。友人一家と、そのまた友人宅に行く。オーバリーさんの家で、とても大きな日本家、幸運にも借りることができて感謝しているとダグラス・オーバリーは言う。12年ぐらい日本に住んでいる。ミュージシャンである。奥さんは座間キャンプで学校の先生をしている。ロケーションにビックリした。広大な相模川の堤防脇で、見渡すかぎり農家と畑、田んぼの景観が続く。神奈川県になるのだろうが、感覚から言えば、東京だ。こんな所があるとは。最寄りの駅は一キロ余り先だが、相模線の相武台下という駅である。帰りは私たちはここまでおくってもらって、この無人駅から橋本駅まで乗って帰ったのだから、全然遠いという印象はなかったのである。
このオーバリー邸の駐車場みたいなところで午後からセッションが行われた。招待客のすべてがオーバリーの友人で、ぼくらを除いてはみんな、たぶんアメリカ人だった。自宅で作った料理とか飲み物をみんな持って来て、台所において行く。それをみんなで食べて、飲みながら、主人のボーカルとその仲間たちの演奏を楽しむというスタイルのパーティだった。
(Troy 一家)
(ドラムはジョージ川口の息子さんである、これにも驚いた)
今日。近くの大学、東京工科大の学園祭「紅華祭」に散歩がてら寄ってみた。そして、この大学の広大さとその建築群の威容に驚きました。
この写真を見て、懐かしく思う人もアメリカあたりにいるかも。
このオーバリー邸の駐車場みたいなところで午後からセッションが行われた。招待客のすべてがオーバリーの友人で、ぼくらを除いてはみんな、たぶんアメリカ人だった。自宅で作った料理とか飲み物をみんな持って来て、台所において行く。それをみんなで食べて、飲みながら、主人のボーカルとその仲間たちの演奏を楽しむというスタイルのパーティだった。
(Troy 一家)
(ドラムはジョージ川口の息子さんである、これにも驚いた)
今日。近くの大学、東京工科大の学園祭「紅華祭」に散歩がてら寄ってみた。そして、この大学の広大さとその建築群の威容に驚きました。
この写真を見て、懐かしく思う人もアメリカあたりにいるかも。
2009年10月10日土曜日
蛇
昨日、一番読みたかったのは、D. H. Lawrenceの下の詩だったが、受講者の作品を10編選んで、その講評をやり、他の受講者たちからの感想などを発表してもらったりしているうちに、あっという間に90分の半ば以上まで時間が経過してしまった。10編は多すぎた。これからは半分ほどにしようと思った。以下の詩はロレンスの詩集"Birds, Beasts and Flowers!"(1923年)所収のもので、とても読みごたえのある、いろんなことを考えさせられる作品である。この「蛇」とは一体何の喩であろうか、そういうことを受講者諸君と考えたかったのだが、その前置きで終わってしまう。デリダはこの詩を題材にして「歓待」についての彼の論を展開しているというが、私は勉強不足で未読である。たしかに、この詩を「歓待」という視点からとらえて読み込むという発想はすばらしいし、ひいてはレヴィナスの「他者性」という考えにまで広がる視点を提供するに足る詩である。(云々ということを喋って終わり。)
他者と出会い、他者を迎える、あるいは拒絶する、そのことから見えてくること、自分の問題とはどういうことか、そういうことを深く考えさせる詩である。それが次回の課題にならなければならない。
D. H. Lawrence
Snake
A snake came to my water-trough
On a hot, hot day, and I in pyjamas for the heat,
To drink there.
In the deep, strange-scented shade of the great dark carob-tree
I came down the steps with my pitcher
And must wait, must stand and wait, for there he was at the trough before
me.
He reached down from a fissure in the earth-wall in the gloom
And trailed his yellow-brown slackness soft-bellied down, over the edge of
the stone trough
And rested his throat upon the stone bottom,
And where the water had dripped from the tap, in a small clearness,
He sipped with his straight mouth,
Softly drank through his straight gums, into his slack long body,
Silently.
Someone was before me at my water-trough,
And I, like a second comer, waiting.
He lifted his head from his drinking, as cattle do,
And looked at me vaguely, as drinking cattle do,
And flickered his two-forked tongue from his lips, and mused a moment,
And stooped and drank a little more,
Being earth-brown, earth-golden from the burning bowels of the earth
On the day of Sicilian July, with Etna smoking.
The voice of my education said to me
He must be killed,
For in Sicily the black, black snakes are innocent, the gold are venomous.
And voices in me said, If you were a man
You would take a stick and break him now, and finish him off.
But must I confess how I liked him,
How glad I was he had come like a guest in quiet, to drink at my water-trough
And depart peaceful, pacified, and thankless,
Into the burning bowels of this earth?
Was it cowardice, that I dared not kill him? Was it perversity, that I longed to talk to him? Was it humility, to feel so honoured?
I felt so honoured.
And yet those voices:
If you were not afraid, you would kill him!
And truly I was afraid, I was most afraid, But even so, honoured still more
That he should seek my hospitality
From out the dark door of the secret earth.
He drank enough
And lifted his head, dreamily, as one who has drunken,
And flickered his tongue like a forked night on the air, so black,
Seeming to lick his lips,
And looked around like a god, unseeing, into the air,
And slowly turned his head,
And slowly, very slowly, as if thrice adream,
Proceeded to draw his slow length curving round
And climb again the broken bank of my wall-face.
And as he put his head into that dreadful hole,
And as he slowly drew up, snake-easing his shoulders, and entered farther,
A sort of horror, a sort of protest against his withdrawing into that horrid black hole,
Deliberately going into the blackness, and slowly drawing himself after,
Overcame me now his back was turned.
I looked round, I put down my pitcher,
I picked up a clumsy log
And threw it at the water-trough with a clatter.
I think it did not hit him,
But suddenly that part of him that was left behind convulsed in undignified haste.
Writhed like lightning, and was gone
Into the black hole, the earth-lipped fissure in the wall-front,
At which, in the intense still noon, I stared with fascination.
And immediately I regretted it.
I thought how paltry, how vulgar, what a mean act!
I despised myself and the voices of my accursed human education.
And I thought of the albatross
And I wished he would come back, my snake.
For he seemed to me again like a king,
Like a king in exile, uncrowned in the underworld,
Now due to be crowned again.
And so, I missed my chance with one of the lords
Of life.
And I have something to expiate:
A pettiness.
Taormina, 1923
他者と出会い、他者を迎える、あるいは拒絶する、そのことから見えてくること、自分の問題とはどういうことか、そういうことを深く考えさせる詩である。それが次回の課題にならなければならない。
D. H. Lawrence
Snake
A snake came to my water-trough
On a hot, hot day, and I in pyjamas for the heat,
To drink there.
In the deep, strange-scented shade of the great dark carob-tree
I came down the steps with my pitcher
And must wait, must stand and wait, for there he was at the trough before
me.
He reached down from a fissure in the earth-wall in the gloom
And trailed his yellow-brown slackness soft-bellied down, over the edge of
the stone trough
And rested his throat upon the stone bottom,
And where the water had dripped from the tap, in a small clearness,
He sipped with his straight mouth,
Softly drank through his straight gums, into his slack long body,
Silently.
Someone was before me at my water-trough,
And I, like a second comer, waiting.
He lifted his head from his drinking, as cattle do,
And looked at me vaguely, as drinking cattle do,
And flickered his two-forked tongue from his lips, and mused a moment,
And stooped and drank a little more,
Being earth-brown, earth-golden from the burning bowels of the earth
On the day of Sicilian July, with Etna smoking.
The voice of my education said to me
He must be killed,
For in Sicily the black, black snakes are innocent, the gold are venomous.
And voices in me said, If you were a man
You would take a stick and break him now, and finish him off.
But must I confess how I liked him,
How glad I was he had come like a guest in quiet, to drink at my water-trough
And depart peaceful, pacified, and thankless,
Into the burning bowels of this earth?
Was it cowardice, that I dared not kill him? Was it perversity, that I longed to talk to him? Was it humility, to feel so honoured?
I felt so honoured.
And yet those voices:
If you were not afraid, you would kill him!
And truly I was afraid, I was most afraid, But even so, honoured still more
That he should seek my hospitality
From out the dark door of the secret earth.
He drank enough
And lifted his head, dreamily, as one who has drunken,
And flickered his tongue like a forked night on the air, so black,
Seeming to lick his lips,
And looked around like a god, unseeing, into the air,
And slowly turned his head,
And slowly, very slowly, as if thrice adream,
Proceeded to draw his slow length curving round
And climb again the broken bank of my wall-face.
And as he put his head into that dreadful hole,
And as he slowly drew up, snake-easing his shoulders, and entered farther,
A sort of horror, a sort of protest against his withdrawing into that horrid black hole,
Deliberately going into the blackness, and slowly drawing himself after,
Overcame me now his back was turned.
I looked round, I put down my pitcher,
I picked up a clumsy log
And threw it at the water-trough with a clatter.
I think it did not hit him,
But suddenly that part of him that was left behind convulsed in undignified haste.
Writhed like lightning, and was gone
Into the black hole, the earth-lipped fissure in the wall-front,
At which, in the intense still noon, I stared with fascination.
And immediately I regretted it.
I thought how paltry, how vulgar, what a mean act!
I despised myself and the voices of my accursed human education.
And I thought of the albatross
And I wished he would come back, my snake.
For he seemed to me again like a king,
Like a king in exile, uncrowned in the underworld,
Now due to be crowned again.
And so, I missed my chance with one of the lords
Of life.
And I have something to expiate:
A pettiness.
Taormina, 1923
2009年10月6日火曜日
I t is good news! we will be there for sure.
ブラジルが大好きな友人、アメリカのDouglasに、2016年のオリンピックの開催地がリオに決まったことをお祝いするメールを出したところ、今日その返事が来た。個人的な内容は抜きにして引用すると、"I t is good news! we will be there for sure."と書いてあった。これは、ぼくが絶対二人で、その年には行こうぜ、と書いたことに対しての返信なのだ。僕たちは、まあ、内密な話だが、ブラジルで骨を埋めようというようなことを語ったことがある。いや正確にはそうではない。何回もブラジルに行って、貧民などに対してボランティアでいろんな援助をやったことのあるDouglas によると、ブラジルはアルカディアなのだという、それは、ブラジルであったことはブラジルで封印する、という都合のいいアルカディア観なのだが、それにしてもブラジルのことを 話すDougの眼の輝きが僕には忘れられない。 僕たちにとって、東京でのオリンピックなどというのは選択肢のなかには最初からなかった。こんな意地悪で品性下劣な知事の支配するところなど、それだけでオリンピック委員会というのか、候補地を決定する機関も選ぶのをためらうに決まっている。ここに書きたくもないのだが、東京というより、自分が選ばれなかった(都民の莫大な税金を浪費して)のでというほうが実情に近いが、昔の自民党の総裁選に似たカラクリが候補地決定には働いているなど、あるいは自分ではよく使った手法の身内主義(nepotism)などから敷衍して、候補地を決める委員会のなかに日本の身内を送り込んでおくべきだったとか、本当に情けない下劣なことを反省もなく喋ったのを心底恥ずかしい思いで見た。そしてその次の五輪に向けてはどうかと問われると、都民の意見を斟酌しなければ、などと本当に信じられないほど無責任な意見を述べる、今回に関しては斟酌したのか?自分の人気が危ないとなると、責任を転嫁する。あほらしくてもう書きたくないのでやめる。よくぞ、この男を何期も知事の座に据えてきたことよ!
asahi.comによると、
本当に馬鹿なやつだ。彼の好きそうな言葉であえて言えば「日本人としての」品性を疑う発言だ。リオの委員会の非難を全面的にぼくは支持する。
リオに2016年に行こう。Dougと一緒に。そして二人でもう帰ることをやめようかしら。
―from left ダグラス、ジョージ(ブラジルからアメリカに働きに来ている)―ダグラスの姉、マリーアン邸で―
asahi.comによると、
16年の夏季五輪開催地に選ばれたブラジル・リオデジャネイロの招致委員会は5日、東京都の石原慎太郎知事が、ライバル都市のイメージを損なう論評を禁じた国際オリンピック委員会(IOC)の規則に抵触する発言をしたと非難する声明を出した。IOCに正式に抗議するという。
リオの招致委は朝日新聞の取材に、「4日の記者会見で『裏取引』があったかのように言及した部分だ」と説明した。
石原知事は4日の会見で、「例えば、ブラジルの大統領が来てですね、聞くところ、かなり思いきった約束をアフリカの(IOC委員の)諸君としたようです。それからサルコジ(仏大統領)がブラジルに行って『フランスの戦闘機を買ってくれるなら(五輪招致で)ブラジルを支持する』とか」などと発言。開催地選考に関しても「目に見えない非常に政治的な動きがあります」と話していた。
本当に馬鹿なやつだ。彼の好きそうな言葉であえて言えば「日本人としての」品性を疑う発言だ。リオの委員会の非難を全面的にぼくは支持する。
リオに2016年に行こう。Dougと一緒に。そして二人でもう帰ることをやめようかしら。
―from left ダグラス、ジョージ(ブラジルからアメリカに働きに来ている)―ダグラスの姉、マリーアン邸で―
2009年10月5日月曜日
類について
今晩、TBSの衛星放送というか、毎週放映されているのだが、月曜日午後9時から15分の番組、『吉田 類の酒場放浪記』を久しぶりに観る。今回は高輪、泉岳寺、その海側(芝浦)の「やまや」というホルモン焼きの居酒屋だった。なんとまあ、こういう店がまだ残っているのかという驚き。それに「金宮」という甲類の焼酎の王様、これはホッピーで割るのが定番のビバレッジなのだが、その威容もはじめて見た。吉田類のブログ『酒王』
類がレバ刺しからはじめて、センマイ、ハラミ、そしてネギサラダなるこの店の美味定番を平らげながら、その一見いかついが、じつは心底人なつこい笑顔を自然にこぼすのを見ると、たまらなく飲みたくなるのだった。
吉田類は『舟』という俳句会の主宰でもある。必ず番組の最後に自作の句が掲出されるが、今回はこのグローバルで均質な都会風景に取り残された昭和の界隈をテーマにした次のような句であった。
未来図に晩夏の運河歪みたる 吉田類
酒飲みだけではない男である。
実を言うと、この夏8月28日、高尾山のビアマウント(9月一杯まで営業している高尾山の2時間飲み放題・食べ放題のビアガーデン)で吉田類に出遭ったのである。帰りのケーブルの中で、テレビで見たことのある顔を発見したミーハーの小生が声をかけたのであるが、快く私に応えて言うには、類はその名前とは異なり、たった一人でビアマウントを堪能したということであった。たぶん「有名人」なら、だれかお付きのものが必ずいて、作家なら編集者とか、そういうのが一緒で、一人で山の上などで飲むはずはないのだが、類はそういう有名人ではないということだろう。私には、彼はこれ以上有名になっても取り巻きなどを引き連れて飲むような人間ではないという確信がある(どうでもいいことだけど)。
これから高尾駅の北口の寿司屋に行くということだったので、私も、そして友人たちも一緒にそのお店に行き、吉田類の話と、高尾の、この寿司屋のおいしい料理と酒に夏の終わりの一日を楽しんだのであった。
http://blog.digital-dime.com/sakeo/2009/08/post-25.htmlによると「キンミヤ焼酎は、清涼飲料・ホッピー割りのスピリッツとして、東京下町酒場で不動の地位を築いた。」とある。
類がレバ刺しからはじめて、センマイ、ハラミ、そしてネギサラダなるこの店の美味定番を平らげながら、その一見いかついが、じつは心底人なつこい笑顔を自然にこぼすのを見ると、たまらなく飲みたくなるのだった。
吉田類は『舟』という俳句会の主宰でもある。必ず番組の最後に自作の句が掲出されるが、今回はこのグローバルで均質な都会風景に取り残された昭和の界隈をテーマにした次のような句であった。
未来図に晩夏の運河歪みたる 吉田類
酒飲みだけではない男である。
実を言うと、この夏8月28日、高尾山のビアマウント(9月一杯まで営業している高尾山の2時間飲み放題・食べ放題のビアガーデン)で吉田類に出遭ったのである。帰りのケーブルの中で、テレビで見たことのある顔を発見したミーハーの小生が声をかけたのであるが、快く私に応えて言うには、類はその名前とは異なり、たった一人でビアマウントを堪能したということであった。たぶん「有名人」なら、だれかお付きのものが必ずいて、作家なら編集者とか、そういうのが一緒で、一人で山の上などで飲むはずはないのだが、類はそういう有名人ではないということだろう。私には、彼はこれ以上有名になっても取り巻きなどを引き連れて飲むような人間ではないという確信がある(どうでもいいことだけど)。
これから高尾駅の北口の寿司屋に行くということだったので、私も、そして友人たちも一緒にそのお店に行き、吉田類の話と、高尾の、この寿司屋のおいしい料理と酒に夏の終わりの一日を楽しんだのであった。
2009年10月2日金曜日
美と真
池袋2回目。今日は先週よりも受講生が増えていたが、まだ確定しないからなのか。コピーしたプリントの数が足りなかった。以下のフロストの二つの詩について主に喋る。
その前提として、ぼくが用意しているのは、次のW.H.オーデンの考えである。
「われわれは美しい詩を欲する。いいかえれば、ことばによる地上の楽園、純粋な遊びの世界で、この世界と、解決できない問題や逃れられない苦悩をもったわれわれの歴史的存在との対照こそが、われわれに喜びを与えるのである。同時にわれわれは真である詩を欲する。いいかえれば、人生についてある種の啓示を与えてくれる詩で、それはわれわれに人生はほんとうはどのようなものかを示し、自己陶酔と欺瞞からわれわれを開放してくれるものだが、詩人はその詩に不確かなもの、苦痛なもの、無秩序なもの、みにくいものを導入しなければいかなる真をもわれわれにもたらせない。」(ロバート・フロスト論『染物屋の手』所収・中桐雅夫訳・晶文社)
「…フロストの詩は明らかに、そのことばに先だった経験、それなくしては詩が存在できなかった経験に対する反応である。なぜなら、この詩の目的は、その経験を定義し、そこから英知を引き出すことだからである。美しい言語的要素がないわけではないが―これは詩であって、知識を与える散文の一節ではない―それは重要性において、詩が述べている真理に従属するのである」(ib.)
フロストは毀誉褒貶かまびすしい詩人で、あるいはまた、忘れ去られたようになっている詩人でもあるが、オーデンのいう意味で、この現世のわびしい経験から、ささやかだがきびしい真を抽出した詩人として、今のぼくにはとても大切な詩人でもある。去年の読解(授業で扱った)に比して、今年は、The Road Not Takenという詩の曖昧さこそが、この詩のポイントであるということがよくわかったし、そのことを伝えることができたと思う。つまり、人生のある場面での意思決定の問題などとしてそれを絶対化して読むのではなく、もちろんそれを含むが、そののちに放棄するというか、放下するというか、一瞬の自己放棄(それはまた美に通ずる)の契機をとらえた作品ではないか、などと考えたのである。そういう点を Stopping By Woods on a Snowy Evening はよく表している。つまり、オーデンの言葉で言えば、真と美が、経験のなかで、経験を通して、背離相反しつつ一致する稀なる瞬間をフロストの詩はとらえている、その最良の詩は、などと思うのである。
じめじめした雨。電車のなかの耐えがたい湿気。帰宅してからの女房との会話。
「安心しなさい、大丈夫よ」
「何が?」
「オリンピックよ」
「ああそう、よかったね」
「よかった」
決まらないことが、決まりそうでないことが、
よかったのである、あの知事は許さない、絶対に、
その自己満足を自らの満足としたくはない、
「安心しなさい」
フロストならもっと上手く日常会話の妙を尽くして、この不満を持つ人々の真を描いてくれるだろう。
その前提として、ぼくが用意しているのは、次のW.H.オーデンの考えである。
「われわれは美しい詩を欲する。いいかえれば、ことばによる地上の楽園、純粋な遊びの世界で、この世界と、解決できない問題や逃れられない苦悩をもったわれわれの歴史的存在との対照こそが、われわれに喜びを与えるのである。同時にわれわれは真である詩を欲する。いいかえれば、人生についてある種の啓示を与えてくれる詩で、それはわれわれに人生はほんとうはどのようなものかを示し、自己陶酔と欺瞞からわれわれを開放してくれるものだが、詩人はその詩に不確かなもの、苦痛なもの、無秩序なもの、みにくいものを導入しなければいかなる真をもわれわれにもたらせない。」(ロバート・フロスト論『染物屋の手』所収・中桐雅夫訳・晶文社)
「…フロストの詩は明らかに、そのことばに先だった経験、それなくしては詩が存在できなかった経験に対する反応である。なぜなら、この詩の目的は、その経験を定義し、そこから英知を引き出すことだからである。美しい言語的要素がないわけではないが―これは詩であって、知識を与える散文の一節ではない―それは重要性において、詩が述べている真理に従属するのである」(ib.)
The Road Not Taken by Robert Frost
Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;
Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,
And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.
I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I―
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.
Stopping By Woods on a Snowy Evening
Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.
My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.
He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound's the sweep
Of easy wind and downy flake.
The woods are lovely, dark and deep.
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.
フロストは毀誉褒貶かまびすしい詩人で、あるいはまた、忘れ去られたようになっている詩人でもあるが、オーデンのいう意味で、この現世のわびしい経験から、ささやかだがきびしい真を抽出した詩人として、今のぼくにはとても大切な詩人でもある。去年の読解(授業で扱った)に比して、今年は、The Road Not Takenという詩の曖昧さこそが、この詩のポイントであるということがよくわかったし、そのことを伝えることができたと思う。つまり、人生のある場面での意思決定の問題などとしてそれを絶対化して読むのではなく、もちろんそれを含むが、そののちに放棄するというか、放下するというか、一瞬の自己放棄(それはまた美に通ずる)の契機をとらえた作品ではないか、などと考えたのである。そういう点を Stopping By Woods on a Snowy Evening はよく表している。つまり、オーデンの言葉で言えば、真と美が、経験のなかで、経験を通して、背離相反しつつ一致する稀なる瞬間をフロストの詩はとらえている、その最良の詩は、などと思うのである。
じめじめした雨。電車のなかの耐えがたい湿気。帰宅してからの女房との会話。
「安心しなさい、大丈夫よ」
「何が?」
「オリンピックよ」
「ああそう、よかったね」
「よかった」
決まらないことが、決まりそうでないことが、
よかったのである、あの知事は許さない、絶対に、
その自己満足を自らの満足としたくはない、
「安心しなさい」
フロストならもっと上手く日常会話の妙を尽くして、この不満を持つ人々の真を描いてくれるだろう。
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