2010年4月24日土曜日

鮎川信夫賞

第一回鮎川信夫賞の授賞式に参加した。谷川俊太郎さんの受賞にこたえることばは受賞詩集「トロムソコラージュ」での詩である「臨死船」に鮎川信夫を乗せて、鮎川が何を言ったかということを軽妙に述べた夢のような、詩のような、すばらしいものだった。

瀬尾さんのきびしいことばに感動した。そのまえに、彼がまずこの本が成立したのは稲川と自分だけの力ではないといい、岡田さんを含め何名にものぼる人々の名前をあげて感謝の気持ちを捧げたのにも深く感動した。

稲川さんの挨拶のことば、「声を出すということ、発言するということの現代における困難さと、それに抗して声を出すということ、発言するということの大切さ」というようなことばにも動かされた。二人ともシンプルだが、とても大切なことば、聞くものの胸に響くことばだった。

帰りは二次会には出ずに、高貝さんと二人で帰る。電車の中で、ぼくはそうとう馬鹿なおしゃべりをしたような気がする。

寒い雨の市ヶ谷、心に残る時間だった。

2010年4月20日火曜日

白雄

白雄句

 友と一緒に信州上田にて桜を満喫する。また村山槐多、関根正二、野田英夫などのデッサンや絵を見る(信濃デッサン館)。上田城の夜桜を見てのかえり、堀端に江戸中期の俳人、加舎白雄(1738ー1791)の碑があり、彼がここ上田出身の人であるということをはじめて知る。以下、白雄の句を記念に掲載しておく。


人恋し灯ともし頃を桜散る

町中を走る流れよ夏の月

園くらき夜を静かなる牡丹哉

子規鳴くや夜明けの海が鳴る

菖蒲湯や菖蒲寄り来る乳のあたり

めくら子の端居淋しき木槿哉

永き日に我と禁ずるまくらかな

春の日を音せで暮る簾かな

はるかぜや吹かれそめたる水すまし

二股になりて霞める野川かな

いとまなき世や苗代の薄みどり


いずれも感覚鋭敏、細かい観察、鮮明な表現の句だと私は思う。

2010年4月19日月曜日

上田夜桜紀行

景観保存地区の町並み

 
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亀齢酒造
 
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上田高校お堀の桜
 
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上田城大手門
 
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お城の夜桜1
 
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夜桜2
 
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夜桜3
 
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加舎白雄顕彰
 
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堀端の白雄記念碑
 
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前山寺の桜(以下、翌日4月18日)
 
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信濃デッサン館
 
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村の鎮守の御柱祭
 
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(4月17日、岩田さんと午後4時前の「あさま」で出発。上田まで一時間半。車中飲む、降りてからも上田城、居酒屋と彼の友人阿部さんをまじえて飲む。阿部さんの所で一泊する。翌日は、阿部さんの車で塩田平を抜けて信濃デッサン館にゆく。阿部、岩田の学生時代からの交友の深さに打たれた旅でもあった。ご両人に深く感謝する。)

2010年4月17日土曜日

一つ家に

太陽が顔を出してきた。昨日までは陰の極みのような天気だった。雪まで降ったとは、信じられなかった。

昨日は和史と小田急相模原のTroyの家で歓談する。幸いというか、突然の病の予後もよく、普段の様子とかわりはない。血圧の高さには注意しなければならないのはぼくも同じだが、最近は測ることもしなくなっている。Troy家でごちそうになり、三名は横浜線で帰る。和史は相模原で奥さんに会うというので、そこで下車。ぼくはなんとなく物足りないので、橋本で途中下車して、三間堂という居酒屋で、おでんと二合徳利、そのあと蕎麦を頼む。女房はあきれながら、つき合ってくれた。

一昨日は公民館で一年ぶりの「おくのほそ道」を読む会。「市振」の所を、その前の越後路の「この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず」という記述と「文月や…」「荒海や…」の有名な句との関連でどう読まれているか(たとえば、恋のうつり、連句的な構成という見地から)を語る。この日も寒かった。4時半ごろの帰りの電車の中で、友人Nからのメールあり。久しぶりに相原の立ち飲み屋に行く、一緒にどう、という内容。断るいかなる理由がわれにあらんや。飲みながらふと気づく、私の足のかかとの痛みはどこへ行ったのか?お母さん、と。

ここ三週間ぐらい、ときどき右足のかかとが痛むのだが、うっちゃいておいた。でも、このままでは散歩もできなくなると思い、病院へ行った。診断は、関節の先の「石灰化」。X線撮影の写真を見せてもらったが、骨の先に暈のようなものがまつわりついている。これが石灰で痛みの原因というわけ。こいつを融かす薬をもらい、やっと原因がわかったので、安心した。それでも立ち飲み屋で、当然のことだが立ちながら2時間にわたり飲み、話しているのに、痛みはない。現金なものだ。すこし酔って家に帰る。友人と相原で別れて帰途ずっとぼくの頭の中にあったのは、芭蕉の「一つ家に遊女も寝たり萩と月」という句だった。すごくいいな、としみじみ思いながら家に帰ったのだが、そのとき思ったことを今は忘れている。

2010年4月13日火曜日

われわれわれは

 今日の朝日夕刊の「あるきだす言葉たち」という、順次、詩、俳句、短歌を載せる火曜日の欄に、望月裕二郎君の短歌が掲載されていた。前の朝日歌壇の論考のような欄で、誰かが望月君に触れているのを読んだ。そのときは卒論として「歌集」を提出したはじめての学生などというようなことが書かれていたが、卒業制作として提出されているのだから、どうしてこういうことを書くのかなどと思ったが、そのときは彼の歌そのものにはあまり触れてはいなかた。だれだろう、あれを書いたのは。

 朝日夕刊の掲載歌について、感想若干。

どの口がそうだといったこの口かいけない口だこうやってやる

あそこに首があったんだってはねられるまえにふけった思索のうるさい

われわれわれは(なんにんいるんだ)頭よく生きたいのだがふくらんじやった

 三首とも、歌の対象と、その取りあげ方が目新しさを感じさせる。
外には向かわない、かといって内部にも彼の歌は向かわないし、そのどちらをもとりあげて歌うという強さを感じさせない。三首目、「われわれ」ではなく「われわれわれ」である複数一人称がこの若き歌人の拠るところである。歌の言語としての彼の口語調の異様さは、その独特な「ゆるさ」と反イメージ的な思弁性と聴覚性にある。まず、こういう感想から望月論が始まるのかも。

 できたての卒業制作歌集「ひらく」を手渡しに、ぼくの授業(08年度の授業の受講生でもあった)にわざわざ来てくれてたのが去年の12月18日。卒業、就職、そして歌人としての出発も恵まれている。(これからが勝負だ、健闘を祈る。)

 今、その歌集「ひらく」を手にして、任意に開いたページに次のような歌があった。かれの新聞掲載歌は、この歌集の歌よりもっと壊れているという印象をもった。壊れているというより、壊したのだろう。

つやつやのチーズを皿に盛り付ける無思想という思想をもって

2010年4月11日日曜日

歩き酒(日本蛇行協会主催)

(日時) 4月10日、晴れ、久しぶりに暖かい午後
(場所) 江東区芭蕉記念館から小名木川まで
(参加者) 協会会員
(学会研究発表場所) 山利喜新館(森下駅)
(テーマ) 歩きながら酒を飲む昂揚と俳諧老人の関係、他

 
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2010年4月7日水曜日

Forza del Destino「運命の力」

イタリア首相のベルルスコーニが1994年に立ち上げた政党名は、フォルツァ・イタリア(Forza Italia)と言って、イタリア頑張れ、というような意味らしいが(ベルディの歌劇にも、「運命の力」Forza del Destinoというのがあった)、自民党脱党の、鉄幹の孫や、平沼、園田某などが立ち上げた新政党の名は「立ち上がれ日本」というもので、これは石原慎太郎という都知事の命名らしい。ここにあるのは、ベルルスコーニの二番煎じで、そうであるからには、かつての枢軸国(独は自立しているけど)への、あの過去への、無意識の愛の突然の奔流ということか。

「過去への愛は現在への恨みと幾重にも綯い交ぜになっている」というのは、アドルノの言葉だ。