「首都大学東京 現代詩センター 」の『詩論へ①』という雑誌。なかなか読めないでいたが、藤井貞和の『詩学のために 文献学、時間、そして想起』と題されたものの半分ほどを読んだ。次第に藤井さんのものが読めるような気がしてきた。本居宣長批判や助動詞(彼は助動辞と呼ぶのだが)の体系化などへの歩みの動機が少しだが理解できたと思う。もっと藤井さんを読もうと思っている。
今朝、小雨のなかを一時間半ほどいつもの川沿いの道を散歩した。昨日は散歩の帰りに、もうひとふんばりと叱咤し、片倉城趾の山頂まで登った。だれもいない草原の縁を一周している途次、灌木の群れのなかから白い小花のそよぎが目に飛び込んできた。「卯の花」だった。先日、女房と二人で立川の昭和記念公園に行った折、「梅花ウツギ」の鉢植えを購入した。家に帰って小さな庭に植え替えて、その可憐な花を愛でていた。なぜか「卯の花・卯月の花」に惹かれていたのである。その野生の花が城趾公園の頂にひっそりと、しかし、かがやくように咲き誇っていたのを見たのだった。人がいないのを幸いに、一枝の一輪だけを折りとる。家に帰って、朝刊(朝日)を読むと、高橋睦郞さんのコラム「花をひろう」はまさに「卯の花」だった。
雨の朝の卯の花も見たかったのだが、今日の散歩の余力はなかった。
もうひとつ、「紅花トチノキ」と、普通のトチノキがやはり城址公園にある。一対という形で並んでいる。結構な高木である。これは西洋名ではマロニエ。その花がとてもおもしろい形をしている。ソフトクリームのような形なのだ。赤いソフトクリームと白いソフトクリーム、この花ももう終わりである。この形を円錐花序というのだと、辞書で知る。
卯の花をかざしに朝の散歩せん 蕃
卯の花のえごの花より地に近き
蜜蜂は手折りて甘き卯の花に
なんとなく卯の花腐し若き日々
マロニエの紅花の散る城跡に
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