19日
「江戸勢」で昔の同僚たちと飲む。千葉からもなつかしい人が来てくれていた。一緒だったころの最悪の校長をあらためて罵倒し、あいもかわらぬ都教委の反動的、管理的な現場無視のやり方を非難するが、気づいてみると、今現場に残っている者の数のほうが集まった者たちのなかでわずかなのだった。
20日
国立、「福間塾」詩の会。終わった後、「さかえ屋」で10名以上残って飲む。福間氏の詳しいオリンピック評論を堪能する。三月の例会はここでやることになった。三月は、ぼくは用事があって欠席する、残念。
この日の課題は「たましい」であった、それをもとに久々に書いた自分の詩。
欅によせて
冬の雨
湯殿川の河原をたどる
やおら西日が後光のように差しこむ
雲の裂け目
葉の落ちた大木の欅にそっと
身を寄せつつ傘をたたむと
少年の日のやさしいあらがいの匂いがした
「今日わたしの魂は樹となっています、
昨日は魂が泉だと感じていました。」
枝は触れ、根は伸びゆく
かつての充溢の日々よ!
雲が結ぶ滴を染め
欅の
大河に流れ込む
夕陽の樹液のせせらぎ!
寒さがつづきます
わたしは湯殿川の夕方を歩きます
固い幹をむき出しにした欅
でもはるかな梢をごらんなさい
やや紫色を帯びて
緑の葉の開く時がそこまで来ている、と
あなたは言いたいのです
薄ら氷の汀
しのびやかにつきまとう歌や句に誘われて
川ぞいに遊歩するあなたの足どりは軽かった?
いつまで遠方にみえるあなたの姿に
あこがれていなければならないのか?
消えゆく抒情詩のざわめき
ナルシスの泉
明るいソネットのように陽が差しこむ
歓びに身をふるわせる葦の芽
それでも、わたしはわたしに問わなければならない
小さな魂の変容の果てに
だれが訪れて
わたしに春の開始を告げるのだろうか、と
(註)「」の言葉はポール・ヴァレリー「樹についての対話」のなかのティティルスの台詞より。
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