2010年2月1日月曜日

I came out of the mother naked

昨日(30日)はJames Wrightの詩を訳して「カワカマス」(ミッドナイト・プレス)という翻訳詩集を上梓された伊藤博明さんを囲んでのすばらしい会が神田は東京堂の会議室であった。伊藤さんの翻訳の柔らかい日本語を誉めた正津勉さんもトークのゲストとして話をしてくれた。Wrightの詩もそうだが、この二人の話も―「心」に降りてくる(伊藤さんの素晴らしい言葉)―いい話だった。そのあとに参加者のほとんどが飲み会にも出席して、それぞれの感想を忌憚なく話した、そういう雰囲気がこの会の根底にあり、それはなによりもJames Wrightの詩が教えてくれたものでもある。


今日(31日)午後2時過ぎに、先輩からの電話があった。八王子まで歩いてきた、これからそこまで歩数を延ばすけどいいかと。びっくり仰天。先輩の自宅は東村山市である、そこから八王子まで4時間以上は歩いているのではないか、八王子から片倉の拙宅までは30分ぐらいで大丈夫だ。どうぞ、どうぞ、お待ちしています。あとで調べたけど先輩の自宅から片倉までの全距離は30キロ近くはある。先輩はダイビングの熟練者でもあるし、それに加えて地上を水平に歩行することも最近の趣味にしたらしい。今度は三島まで歩行するから、ついて来ることができるなら来いという話だった。八王子の「そごう」で購入してきたという本マグロの刺身をお土産に頂戴し、我が家で午後の静かな酒宴が僥倖のように開かれたのである。そのうちに、先輩と私はAIU(anti ishihara union)のよしみから、怒りに駆られて、石原知事を完膚無きまで批判したりした。たとえば、

「都の銀行を設立したときの威張りようを忘れたのか?今はその銀行の失敗の責任を他人に取らせようとする、」
「いつもそうでしたね、とくに傑作なのは、都がいやいやながら開設した年末年始の「派遣村」の話です。2万円を支給したら、帰ってこない人がいたという。」
「それに対して、石君はそれ以前から、あの程度の行事に首相が来るとは、とか、国がやるべきだとか、つまり甘えているとか、ということを言ってきたわけです」
「彼は、自分が都民の税金を使ってやっている大名のような遊山三昧のことはすっかり忘れているのだろう。彼の話はしたくないけど、きみと会えば仕方がない、要するに、天を仰いで唾する、というのは彼のことで、彼以外のことではない」というのが先輩の言葉であった。

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