福間健二・水島英己
第1回 2008年6月21日 土曜日 19時~21時
ときどきものすごく、詩について、真剣に、思い切り語りたい、という気持ちになりますが、考えてみると、自分の生活のなかで、そういう機会が自然に発生するのは、まれになってきました。水島英己さんと相談して、月に一度のペースで「詩を語る夕べ」を持とうということになりました。場所は、朗読会をやってきた「奏」です。
どういうふうに進めてゆくかは、やってみないとわからないところもありますが、とにかく、わたしと水島さんで話題の口火を切り、それから自由に語りあうというかたちにします。詩に関心のある人、詩の好きな人、もっと一般的に表現をすることの深い孤独がわかっている人なら、だれでも参加できます。(各自が、普通のお客さんとして飲み物・食べ物を注文してください。それ以外のカンパなどは必要ありません。)
その回ごとのテーマを、ゆるいかたちでも決めていった方がいい気もしますが、とりあえず、第一回は、水島さんが、詩をめぐる、わたしや参加者のみなさんへの質問を用意してくれることになっています。そこから、次は、特定の詩人や詩集やテーマに焦点をあてようということになれば、そうなっていいし、そうならなくてもいいという感じでやります。
ひとつ、頭にあるのは、ウェールズにいたときに体験したパブでの詩の会です。『詩は生きている』に入れたエッセイで書きましたが、参加者が(だいたいビールを飲みながら)自分の読みたい詩(自作ではない)を読んでゆくのです。意見を言うよりも、自分はその詩が好きだ、その詩が自分にとって大切なものだということを、朗読で表現するのです。そういう詩を(できればコピーをつくって)用意してきてもらうのもいいかな、と思います。
もうひとつ。わたしの個人的な問題として、わたしは、詩、映画、英文学、思想的な問題へのとりくみを、なにかまとまりがつかないようにやってきたということがあります。そこにつながりができるように、いままでに試みていなかった角度から詩と詩論の領域を横断する仕事を、これからやりたいと思っています。そのために考えていることを話したいとも思いますし、それについて意見や感想を聞かせてもらいたいです。どうぞ、よろしく。 (福間健二)
*詩を語る夕べ 第2回 7月19日 土曜日 19時~21時
*FARM朗読会 8月3日 日曜日 17時~ (福間健二・新井豊美・水島英己)
場所 音楽茶屋「奏」(電話 042-574-1569)
以上は、これからの予定です。福間さんが「ちらし」に書いたものを、ここにも載せておきます。ぜひみなさんのご参加をお待ちしています。
(閑話休題)
昨晩、ひさしぶりに大酒を飲んでしまった。三次会までやり、もっとも最後の三次会は自分ひとりで、友人の奥さんがやっている小さなバーに行ったのだが、友人もいて、なにを喋ったかよくわからないほどだった。今日は昼近くまで二日酔いで寝ていた。昨晩、息子が家に寄って、夕飯を一緒に食べたらしい。ぼくへのプレゼントということで、高田渡のライブのCDが置いてあった。息子の漣さんがスチールギターで伴奏をしている。03年4月23日、NHK-FM「ライブビート」でオンエアーされたものが音源である。公開録音。落語家のような語りと、野太い声、正確なギターの音、絶好調の高田渡がここにはいる。彼は05年4月に急逝するが、その前のライブとしてはこれほどの曲数と自在な語りなどで、「伝説」となるまでの素晴らしさだ、と当時のNHKの担当ディレクターが自讃しているが、それもそうだと思える。聞いているうちに、今晩は休肝日にしようと思ったが、飲みたくなって、女房に見つからぬようにそっと泡盛を入れて二階に上がる。
聴きながら考えたのは、ここで歌われている「詩」としかいいようのないもののことである。山之口獏や黒田三郎、菅原克己、谷川俊太郎らの「詩」が歌われるが、その歌とは高田渡の、その詩に対する解釈にほかならず、優しい批評と言ってもいいが、それを含めた全体が、一つの新たな「詩」になっているのである。小難しい理屈などを高田は嫌うだろうが、かれの無技巧と聞こえるまでに平易な曲の底には、この人なりの「思想」が一貫している。それは何だろうか?日本のフォーク(ゲリラ)の最良の部分の「孤独」な姿、馴れ合わない、取り込まれない、そういう姿勢をぼくは感じた。
「生活の柄」(山之口貘)を歌う高田渡
3 件のコメント:
いいですねえ。初めて高田渡の歌うのを見、聞きました。非常に単純な、明解な、一筋のことを言っていると思います。歌もそうだと思います。色々なものの見方があってよい。これを尻の穴からでる、便秘の便の一個を例題にして解説するところが、いいですねえ。
折角書いたのに、アップロードするときに、消えてしまった。なんということだ。高田渡が一個のうんこの塊に、さまざまな視点で見ることの大切さを言っているというのに。それが素晴らしかった。いいことば達が雲散霧消してしまいました。残念。
takrankeさん、
消えたのは匿名さんとしてよみがえったのではありませんか。
高田渡のような姿勢で、詩などを書いてみたいと思っています。なんか、最近は袋小路に入ったようで、支離滅裂の毎日を送っています。
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