2008年6月5日木曜日

the soldier, his wife and the bum

ブコウスキーの次の詩が昔も今も好きだ。

  the soldier, his wife and the bum

I was a bum in San Francisco but once managed
to go to a symphony concert along with the well-
dressed people
and the music was good but something about the
audience was not
and something about the orchestra
and the conductor was
not,
although the building was fine and the
acoustics perfect
I preferred to listen to the music alone
on my radio
and afterwards I did go back to my room and I
turned on the radio but
then there was a pounding on the wall:
“ SHUT THAT GOD-DAMNED THING OFF!”
there was a soldier in the next room
living with his wife
and he would soon be going over there to pro-
tect me from Hitler so
I snapped the radio off and then heard his
wife say, “ you shouldn’t have done that.”
and the soldier said, “ FUCK THAT GUY!”
which I thought was a very nice thing for him
to tell his wife to do.
of course,
she never did.

anyhow, I never went to another live concert
and that night I listened to the radio very
quietly, my ear pressed to the
speaker.

war has its price and peace never lasts and
millions of young men everywhere would die
and as I listened to the classical music I
heard them making love, desperately and
mournfully, through Shostakovich, Brahms,
Mozart, through crescendo and climax,
and through the shared
wall of our darkness.

 「私」はbumであった、という発語がこの詩のすべてを規定している。この「浮浪者」としての意識はそこに格別の感情のコンプレックスを感じさせることはない。お上品なクラシックのコンサートとの対比をとる必然性のほかには。「私」は安アパートに帰り、ラジオでクラシックを一人で聴くほうを選ぶ。そこからの語りがブコウスキーの本領である。薄い壁と暗闇をこのアパート住人である彼らは分け持っている。それらを介して、「私」たちを守るためにヒトラーとの戦いに出て行かなければならない兵士とその妻の絶望的な愛撫のうめきが聞こえてくる。そこにショスタコービッチやブラームス、モーツアルトの音楽と、兵士とその妻の愛撫のクレシェンドからクライマックスまでのうめきが重なる。

兵士の“ FUCK THAT GUY!”という呪詛の言葉を、文字通りその妻が「私」に対して実践してくれないかというユーモア、そのあとに続く戦争と平和に対する省察、そして何よりもこの詩の白眉であるthe shared wall of our darkness.という最後のフレーズの持つ真実さ。こういうシークエンスをつくることにかけてはブコウスキーにかなう詩人はいないだろう。

you tubeを探していたら、ブコウスキー本人がこの詩を朗読しているものが登録されていた。石川さんにならって、ぼくもはじめてここにそれをリンクしてみる。



朗読しているのは本人だが、このようなアニメ化は、ちょっとね。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いやあ、いい言葉だなあ。これなら、わたしも書けるかも知れない。いや、書いてみたいと思いました。これは生活の身の丈に忠実なひとの言葉だ。詩である以前に、言葉だ。これは、素晴らしい。平凡であるが、いい。平易な言葉。それでいて、言葉同士が関係づけられている、立体的な言葉。ブロツキーの声、初めて聞きました。これも、よかった。

ban さんのコメント...

takrankeさん、not Brodsky, but Bukowskiですよ。

それにしても、このyou tubeというのはすごいですね。探せばBrodskyの朗読もあるかも。著作権とか、うるさいことを言われるのもわかりますが、貧乏人には便利なツールです。

匿名 さんのコメント...

あっ、またやってしまった。ブロツキーではなく、ブコウスキーですね。

You tubeどうやって引用(貼り付け)するのですか。凄い世の中になりましたねえ。

匿名 さんのコメント...

ものすごく聴きやすい発音で、自由な感じがします。母音の発音がゴムボールがたわんだりもとの形に戻るような柔軟でしたたかな感じがあり、san francisco のcoの発音で、はまってしまいました。歌うように話すように、僕のようにリスニングが不如意なものにも、言葉が響いてきました。やはり言葉の歌揺的な側面は大きいですね。

ban さんのコメント...

石川さん

そうでしょう。ブコウスキーの発音はとても聞き取りやすく、それに声が優しいでしょう。

これに聴衆などの反応が加わればもっと面白いです。そういうcdがあり、木村君はそれを持っていましたよ。それにブコウスキーは朗読しながら、ずっとビールを飲んでいるのです。ニホンの儀式のようなreadingとは大違いです。