One Art
by Elizabeth Bishop
The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster,
Lose something every day. Accept the fluster
of lost door keys, the hour badly spent.
The art of losing isn't hard to master.
Then practice losing farther, losing faster:
places, and names, and where it was you meant
to travel. None of these will bring disaster.
I lost my mother's watch. And look! my last, or
next-to-last, of three beloved houses went.
The art of losing isn't hard to master.
I lost two cities, lovely ones. And, vaster,
some realms I owned, two rivers, a continent.
I miss them, but it wasn't a disaster.
-- Even losing you (the joking voice, a gesture
I love) I shan't have lied. It's evident
the art of losing's not too hard to master
though it may look like (Write it!) like disaster.
PLAYBOY9月号は『詩は世界を裸にする』という特集。はじめて購入した。池澤夏樹が選んだ20世紀の詩人10名のなかに、上記の Elizabeth Bishopの詩が入っている。その池澤の訳を読んでみよう。
何かを失くす技術はすぐ身につく。
とってもたくさんのものが失くなるつもりでいるから
失くすことは不幸ではない。
毎日なにかを失くす。ドアの鍵を失くしたことや
時間を無駄に使ったことに狼狽し、甘受する。
何かを失くす技術はすぐに身につく。
そしたらもっと遠く、もっと早く失くすよう練習を積む。
場所とか、名前とか、旅するつもりだったところとか。
そういうことはどれも不幸にはつながらない。
わたしは母の時計を失くした。あら、見て、わたしが
好きだった三軒の家の最後のが、いえ、その一つ前のが、消えた。
何かを失くす技術はすぐに身につく。
わたしはすてきな都市を二つ失くした。それにもっと大きなもの、
所有していた領土、二つの川、一つの大陸を失くした。
惜しいと思うけれど、それは不幸ではなかった。
あなたを失くすことでさえ(冗談の口調、わたしの
好きなしぐさ)、後で気持を偽ったとは言わせまい。
大丈夫よ、何かを失くす技術はたぶんすぐに身につく。
まるで(書きなさい!)不幸みたいに見えるとしても。
これに対して池澤夏樹は「…全体は『あなたを失くす』ことへの負け惜しみ。最後の行の『書きなさい!』は『あなたを失くす』ことを『不幸』と言い切ることへのためらいに対して自分を勇気づけているのだ。」とコメントしている。
岩波文庫『アメリカ詩選』の最後のスタンザの訳と、コメントをついでに引用する。
―あなたを失くした時でさえ(冗談を言う声や、大好きな
しぐさなど)、その事情に変わりはないだろう。どう見えても、
ものを失くする術を覚えるのは、そんなに難しくない―
たとえどれほどの(はっきり書こう!)大事に見えようとも。
(Write it!)の部分の註として「はっきり言うのをためらう自分を、むりに励ます。実は今度こそ『大事に至る』のを恐れ、その辛さに耐えている。『術』など少しもマスターしていなかったのである。」とコメントされる。
池澤夏樹と川本皓嗣(岩波文庫のこの詩の担当者)の訳とコメントを並べながら、両者のとらえかたの微妙な違いを味わうのも一興かと思って書いてみた。
実は、私は池澤のコメントのわかりづらさにつまずいたのだ。すなわち「最後の行の『書きなさい!』は『あなたを失くす』ことを『不幸』と言い切ることへのためらいに対して自分を勇気づけているのだ。」とはどういうことか私にはよくわからなかったのだが、要するに「大事」であり「不幸」だということなのか、川本はそうとっている、それとも、大したことはない、書きなさい!勇気を出して、書きなさい、不幸のようだと、そうまるで不幸に見えるかもしれないが、その傷を忘れる技術もたぶんすぐに身につくから元気を出しなさいと、自らを勇気づけているのか。そういうことが、どちらかということが、池澤のコメントからわからないのである。わたしの頭の悪さだろうが。「あなたを失くすことへの負け惜しみ」ではなく、何かを失くすことの痛みみたいなものがテーマなのだろうと私は考える。蒸し暑さに比例して自分の頭も働かなくなる。
6 件のコメント:
私は所謂ゲキゼツの語を解しない者ですが、この「Writ it」の解釈については、banさんに同意したい気がします。大兄は「痛み」とおっしゃいましたが、愚生はかてて加えてそこに彼女の「智慧」の存在を感じます。
英語の詩というのは、わかったようでわからないところが多いもの、という感想を持ちます。まず、ゲキゼツという言語の問題があり、それをもう一つの親和的なゲキゼツに直すという二重のバリアーをくぐり、脳の言語野に写すわけですから。
でも、こういう迂遠な作業をしていると、ときどき、偶然にですがなにか明晰なものやことが啓示されるような瞬間が到来することもあります。
ビショップが最後の一行の一語で、ひっくり返そうとしているのは、兄の言うように、artであり、従って?最終的には啓示のように「智慧」が出現し、今までの詩行のすべてを、どこか遠くから眺め返すような境位の詩になるのだと考えます。
倉田さん、ゲキゼツなる言葉をはじめて知りました。辞書を引くと孟子の言葉らしいですね。
池澤夏樹の解釈は明らかに間違っています。
池澤は、(Write it!)のあとにlike があることを見落としています。不幸のように(見える)と言うことを、はっきり書こう、と作者は言っています。作者はおそらく彼女を失って今不幸のどん底にあるのに、それを失う技術のどうのこうのとは、とても言っておれないのですが、勇気を奮って、それもいつかは、つまり長い目で見れば、プラスに転じると言うことにしておこう、と言っているのではないでしょうか。これが、紛れもなくこの作品のモチーフです。
僕にとって難解なのは、第五連ですね。二つの都市と領土と二つの河と大陸をなくした、と言うのは、どういうことでしょうか。
さっきの書き込みのとき、作者は男性だと思っていましたが、エリザベスだから、明らかに女性ですね。すると失ったのは、彼女ではなく、彼氏ですね。さっきはなんと書いたかしら。
平川さん
コメントありがとうございます。「(Write it!)のあとにlike があることを見落としています。不幸のように(見える)と言うことを、はっきり書こう、と作者は言っています。」
本当にそうですよね。ここがはっきりしました。
いかがお過ごしですか。鳥取の猛暑も報道されています。ご自愛祈ります。
ブログの内容に関係ない愚痴を言わせてもらうと、鳥取も連日35度前後の猛暑に見舞われています。下村さんのブログに習って、「あ~つ~い~」と叫びたいところです。
自宅に研究室に引きこもって、クーラーの温度を上げたりさげたりしながら、本にかじりついています。
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