恩師のような存在と一人で思っている大先輩から、今朝福井の酒が送られてきた。奥越前は勝山の「一本義」、もう一本は大野の「花垣」という大吟醸。越前は奥様の故郷だったと記憶している。吃驚し恐縮した。本来ならぼくこそ今まで受けた恩義のいささかなりともお返しするために、何かをしなければならないのに、いつもゆったりと自然に見守ってくださる。ぼくの人生の節目にあたって、元気付けるために贈ってくださったのだ。日本酒好きの友人たちが連休あけに集るから、そのときみんなで味わってみよう。先輩がどういう人か、その奥様がどんなに気品に満ちた美しい人であるか、話しながら。
福間健二が『夜』という詩で切ないことを書いている。表記の通りではないが(私はタグは使えないから)引用してみる。
体の一部が
いつまでもつめたいことが
(目覚めとあきらめが
いつまでも整理のつかない)
老いる事務の
はじまりだ
音楽のなかに
閉じ込められた永遠が
階段をおりてくる
どう立つ?
(目も耳もあまり自信がない)
この抒情詩の
かがんだ姿勢から
「お互いの体のぬくもり」を
表現として読む
私は私一人でこの詩行を切実に受け止めるのだが、それは「この抒情詩のかがんだ姿勢」という経験を私も共有するからだ。その姿勢で私たちは今いる、それ以外の姿勢はとりようがない。そこから「お互いの体のぬくもり」を読むこと。この詩も私にとって、かけがえのない贈り物になった。
3 件のコメント:
わが愚妻も、生まれも育ちも越前は大野です。水もうまい。酒も旨いのでしょう。典型的な盆地です。ここには、道元禅師が日本に帰ってきて最初に建立した宝慶寺が、この土地の奥にあります。一度道元禅師の座禅を組んだ岩の上で脚を組んでみたいものと思っています。
そうでしたね。今度の集まりには、takrankeさん寄贈の佐久の銘酒もあり、期待とともに飲みすぎ注意という感じもします。楽しみです。
銘酒、名酒によるキビシイ修行、今から心を引き締めております。
そういえば、わが寓居の裏手は曹洞宗の総本山、総持寺がましましていて、わが散歩のエリアです。そこの宝物殿にはけっこうすごいものがあって、重文の前田利家夫人「まつ」像や「提婆達多像」、応挙の「孔雀図」なんて大幅が300円で見られます。
寺では座禅会もあるようですが、興味はあるけれど、足を傷めているので諦めています。
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