2011年7月18日月曜日

なでしこの戦い

「なでしこ」の含意は様々だが、すべて歴史的なものだろう。とくにこれとヤマトが接続した大和撫子は、なにか特別な意味を持っているようだ。清楚、辛抱強さ、りりしさ、日本女性の典型。日本代表の女子サッカーチームが公募でその名を募集したときに選ばれたのが「なでしこJapan」という名であった。そのときに、この名のコノテーションが問題になることはなかったと思う。この名にまつわるもろもろの、作られ強制された無意識―変な言い方だが―(清楚、優しさ、母性、辛抱強さ、殉教など)を爽やかに打破してくれたのが、今回の2011 FIFA Women's World Cupにおける日本代表、すなわち「なでしこJapan」の優勝であると私は考える。このチームの戦いを私は今日未明のアメリカとの決勝戦しか知らない(テレビで観戦したのは、この一つ)のだが、見ていて深い感銘を覚えた。
 試合の前半ではアメリカの猛攻の前にいつ失点しても当然のような試合だった。素人から見たら、単に運のようなものが失点を免れさせたのだとしか思えなかった。ここをゼロゼロで持ちこたえた。後半には交代したばかりのアメリカのモーガンにドリブルで切り込まれ点を入れられた。ああ、と思った。でも、後半終了十二分前ごろにアメリカのゴール前でのもつれからすばやく宮間が蹴り込み、同点にした。このすばやさ、躊躇のなさ、しかも流れるような自然さに私は感動した。秘かに、Samuraiたちなら絶対に失敗したろうなどと失礼な感想を抱いたものだ。延長に入り、ワンバックの美しく強力なヘデイングで再び引き離されたが、後半に澤(なんという選手だろう!)の神業的なシュートで再び同点。決着つかず、PK戦にまでなり、日本が勝利を手にした。澤は得点王となり、MVPにも選ばれた。閉会式のセレモニー、その後の彼女たちのインタビューも見た。的確で無駄のない受け答え、しかも特筆すべきは、全然情緒的ではないこと、みんなが言いたいことを持っていて、しかも自分の頭で考えたことを、きちんとした日本語(スポーツ選手にありがちな、「"ら"抜き言葉」など一切なかった)で喋っていた、そのことを素晴らしいと思った。そして今までよくあった、こういう場合に、すべてにおいて扇情的なインタビュアーの質問もあまりなかったと私は思った。それはインタビュアーたちも、彼女たちの冷静で知的な応対に負けるしかなかったのだとも思う。
 
 それから朝刊を読んだ。当然ながら、このゲームの結果は載っていない。そこにある嫌な、胸がむかつく記事があるのを眼が捉えた。私は瞬間にその記事を読むまいと思ったのだが、やはり眼を通さざるをえなかった。石原都知事の定例の記者会見の記事で、彼の口調そのままに書かれている。私はむかつきをこらえて後世のためにこれを筆写しておく。

―「女は強いですな、つくづく。男はだらしねえけどね。結構なことじゃないですか。(中略)とにかく最後に、アメちゃんにだけは勝ってもらいたいな。そうしたら、やっぱり日本人は留飲下げるよ。(中略)俺なんか古い人間だから、65年の遺恨っていうのがあるわけだよ、戦に敗れてからの。君ら、全然痛痒を感じていないだろうけどさ」(15日の定例記者会見)。―
 
 夜郎自大、非常識、チンピラ、の発言だ。全力を尽くして戦ったアメリカの選手に対するこれ以上の非礼はないし、日本選手たちの栄冠も汚す発言だ。そういうことになるという想像力の一かけらもない人間。恥ずかしさを通り越して悲しくなり、やがてはこの男は道化かとも思わざるをえない、いや道化ではない、比べるのは道化に悪い。それにしても「アメちゃん」か、ぼくらをジャップと呼ぶようないかなるアメリカ人も私には想像できない。震災被害を深く悲しみ、あえて日本国籍を選ばれた老齢のキーン先生はどう思うだろうか。この老齢になっても、それ相応の叡智のかけらもない、今も障子破りのチンピラ作家都知事を。そしてこんなことを発言する男に五輪などを日本に招致する旗頭の役やその資格などつとまりもしないし、あるはずもない。都民の血税をまたドブに捨てて蛙の面に小便ですまそうというのだ。それにしてもなんとまあ、この男に寛容な事よ、都民たちは。

(結論)愚かな知事の発言や、これからなされるであろうメディアの虚飾に満ちた歓迎や扇情的な露出、また震災がらみの強制的な美談に取り込まれるのに抗して、「なでしこ」たちはこの試合のように冷静に、決してあきらめず、なによりも笑顔を忘れずに縦横に自らの道を切り開いてゆくであろう。そうであってほしい、最後のPK戦までになろうとも。

(教訓)私も、この知事のような考えと、それをよしとする勢力との戦いをあきらめることがないようにしよう。「なでしこ」の強さが教えたことを大切にしよう。

2011年7月14日木曜日

羽生槙子『花・野菜詩画集Ⅲ』を読む。

 羽生槙子さんの『花・野菜詩画集Ⅲ』(開成出版)を今朝読んだ。その絵と詩は、この世の地に根を下ろす「花・野菜」のみならず、生あるものすべてとの、常に更新される瑞々しく、まぶしい結びつきに満ちている。彼女は「いっしょに暮らしている人」羽生康二氏とともに、季刊詩誌「想像」を年4回発行されている。一番新しい号のナンバーは133号だから、単純に計算して33年にわたる詩誌である。その息の長さに驚くが、何よりもその内容のゆるぎなさに打たれる。それは権力や権威の強制や抑圧に抗して、一人の市民・人間として、それぞれが自立しつつ共生できる在り方を模索し鍛えてゆくものだと私は思う。私のもの言いは大げさに聞こえるかも知れないが、お二人の根本にあるものは槙子さんの詩集所収の次の詩からもうかがえるものと同じである。

 
 冬になって 庭の柿の木の葉は残り少な
 その中の一枚の葉が
 散る間合いを測っている とふいにわたしにわかった
 そう 微風が二度
 三度目の微風で 葉は
 枝からそっと手を離した ゆらゆらと
 ゆったり やわらかに 地に載った
 それは安心して眠りに入る形
 柿の葉 なんてすてきなんでしょう
 庭の草木はすべて神秘だと その時わたしにわかった
(「柿の木の葉」)

庭の草木に「神秘」を見る眼。「安心して眠りに入る形」を見守る眼。この眼を私も槙子さんから受け継ごうと思う。そして、「神秘」や「安心して眠りに入る形」を動揺させ、不安に陥らせる人の業、経済や競争の秤を見るだけの「眼」、それがもたらしたものこそ、この国の「原発」災害ではないだろうか。

  わたしは年寄りになった。原発を何としてでも今、いったん全部止めてほしい。そして生きている間に原発を持たない国になることを求めて人々の間に議論が起こり、政治が変わるきっかけになってほしい。この春、野菜を作るかどうか、少し迷ったけれど、4月、庭にピーマンとミニトマトの種をまいた。
詩集の「あとがき」だが、私もこの希望を同じく持つ。それとともに、槙子さんの蒔いた野菜たちの命が傷つけられることなく育ち、われわれの命との新鮮なまばゆい結びつきをこれからももたらしてくれるように祈る。

2011年7月13日水曜日

コロラドの奇岩


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こんな岩に登ってみたい。さぞ爽快だろうな。

2011年7月12日火曜日

毛羽鱗介の屠

 中尊寺供養願文のことを知った。藤原清衡の誓い。彼が作った鐘楼とその大鐘に託した願文。そのなかの次の一節「官軍夷虜の死事、古来幾多なり。毛羽鱗介の屠を受くるもの、過現無量なり。精魂は皆他方の界に去り、朽骨は猶此土の塵と為る。鐘声の地を動かす毎に、冤霊をして浄刹に導かしめん」。