2008年3月31日月曜日

三月尽

朝は雨だったが、午後は晴れた。

少し落ち着いたので、読みさしていた本をあれこれ読む。村上春樹、翻訳ライブラリーのシリーズでカーヴァーの『英雄を謳うまい』と題された最新刊を読みつぐ。ヘミングウエイの二種類の伝記についての書評、タイトルは村上訳では「成熟すること、崩壊すること」となっている。原題は"Coming Of Age, Going To Pieces"。 カーヴァーはヘミングウエイをこきおろしたような一つの伝記の著者の書き方を批判する。たしかに、私もヘミングウエイの「公的生活や私的生活の混乱ぶりをあげつらい、そんな事実さえも否定するような伝記作家は、名もなき食料品店主や、マンモスの伝記でも書いていればいい。作家としてのヘミングウェイ―彼は今もなお物語の英雄である。どれだけ内実が暴かれようと。」というカーヴァーの言葉に賛成する。

カーヴァーが感動して引用しているヘミングウェイの言葉のいくつかを、私も書いておく。

○ 私の知っているもっとも深く入り組んだ主題は、私がひとりの人間であるが故に、ひとりの人間の生だということになる。

○ あなたの心を揺さぶってくれたものを見つけなさい。あなたに興奮を与えた行動がどのようなものだったかを発見しなさい。そしてそれを文章にしなさい。できるだけクリアに。そうすればあなたの書いたものは、読者の経験の一部になるかもしれない。

○ 大事なのは、うまく生き延びて、君の仕事を片づけることだ。(「午後の死」)

 特に、最後の言葉は、心に響く。

それにしても、この書評のタイトルは謎めいている。ヘミングウェイに肯定的な伝記を書いたピーター・グリフィンの『若さとともに―青年時代のヘミングウェイ』をカーヴァーは、この書評で誉めているのだが、それに「成熟すること」を関わらせているのだろうか?そして、批判しているジェフリー・マイヤーズの本(その内容が、ヘミングウェイの崩壊に焦点をあてたものだから)に関連させて「崩壊すること」としたのか?

いや、「成熟すること」と「崩壊すること」の分かち難さを、伝記記者たちには分からない、その機微を自らの経験として生き得たカーヴァーだからこそ、こういうタイトルを付け得たのだろう。ヘミングウェイの「物語」はまさに掛け値なしにカーヴァーという「読者の経験」の一部になったのである。

2008年3月30日日曜日

始まりと出会い


28日のクラス会の時の写真を記念に。

22歳の若者たちのこれからに幸せあれ!
(60歳の人間たちにも幸せあれ!)

昨晩は、4年前によく通った、なつかしの「江戸勢」で昔の同僚たちと飲む。たぶん、これで送別会は打ち止めだろう。よく集り、よく飲んだ3月だった。

4月からは、この写真のそれぞれみんなに、また新たな出会いがあることだろう。豊かな出会いになるように祈っています。

元気で、また会おう。

2008年3月28日金曜日

地上の希望

「大江・岩波」裁判、勝訴の夕刊をゆっくり読む。原告側は控訴するということだが、とにかく「希望」のひとつの根拠である。朝は指導要領改訂で「愛国心」を入れ込むという「強制」に嘆き、夜はこのニュースを喜ぶ。

私事だが、4年前に卒業した教え子たち二十名近くと夜は飲む。院に行くもの、就職を決めたもの、就活最中のもの、それぞれが輝いている。花束とワインを、私の「退職祝い」ということでプレゼントされる。

彼らとの話のなかで、都教委の「野蛮」を率先して進めた、そのときの某校長―定年延長という都で、はじめての乱暴な施策で、そのときの学校に残り、そのあと某私立の校長として辣腕をふるい、自分の方針に従わない教員十余名を解雇した男。しかし裁判で彼は負けて、つい最近、その高校を解雇された。―の話題になり、女の子が、「先生、あのひと解雇されましたね」と語った。そういう話題を話すことができるということ。それに対して、「人の不幸を喜ぶということは、良識ある人間なら避けるけど、しかし、彼の場合は、乾杯だ」とぼくは応えた。その教え子のみならず、他の連中もみんな異議はなかった。
「成長」、こういう「成長」の手助けのために、ぼくは生きてきたのだ。

しかし、この男は、結局は都教委の犠牲であり、要するに石原都知事の犠牲であるという論理は成立するだろうか?

否、断じて否。

では、今回の裁判で、原告の梅沢老人や赤松大尉の弟たちは、「日本軍」の誇りにかけて「部落民」(梅沢のことば)に「集団自決」を「強制」するようなことはありえないと語るが、それは本当だろうか?「本当」かもしれない。希望のカケラも無い、「死」がすべてを制覇していた状況で、彼らが頼るものは「誇り」しかないのだから。

しかし、その「誇り」こそが、この世の悲惨きわまりない地獄を「強制」するようにして作り上げた最大の元凶であることに彼らは決して気づかない。彼らは、先の解雇になった校長とは異なり、この強いられた「誇り」、要するに「日本国」「日本軍」というイデオロギーの犠牲者でありつつも、それを認めない新たな「イデオロギー」によって、裁判に「押し出された」ものたちである。

某校長は、軽いし、結局は馬鹿だった。

この老人たちは「悲惨」だ。なぜなら、クニの「誇り」をいうものは、いつもでも、この某校長のような「軽薄」と「馬鹿」の集りに過ぎないから。彼らはそれを「信」ととりちがえて、多くの人の尊い命を殺してしまったからだ。これからも殺してしまうにちがいないからだ。

だから、あの校長の解雇と、この裁判の勝利を祝うことが、昨今のせめてもの、私にとっての「希望」である。

2008年3月27日木曜日

きぼう?

今日は、4月から働く職場の新任研修ということで、ロートルながら参加した。朝の9時から午後4時過ぎまでの長丁場をひたすらたえて、さまざまな説明を聴き続けたので、終わったときは疲労の極に達していた。

働くということは楽なことではない。 週14時間で、4種類を教えなければならない。これには参ったが、後ろ向きに考えてはなにもうまくいかないと思い返してはいるものの、続くだろうか?その余力がぼくにはあるだろうかなどとも思っている。

この春は、暗い事件のニュースが多くて、滅入ってしまう。とくにホームから人を突き落とした少年の事件はどうしようもなく暗い。家族、社会、人との関係、すべてが袋小路に入っている、そのことで突き放された、突き落とされたと考えた少年は、人を突き落とすことで、バランスをとろうとしたのか?このくらいニュースのあとで、宇宙の「きぼう」の、そこだけが明るいニュースを聴くのも、宇宙飛行士にはもちろんなんの罪もないけど、そこだけが膿んでいるのと同じだ。地上の不幸の穴は際限もなく深く、宇宙の「きぼう」は浅い。

2008年3月26日水曜日

ヘルプ

ヘルプ      
        "When I was younger, so much younger than today, "
                                       Beatles

卒業生が残していった大量の教科書や靴などを整理していると
手伝います、と言って一年の女の子が寄ってきた。
教室のものをすべて片付けても、まだロッカーがある、大変だと思っていたので
その言葉はうれしかった。
ぼくは、そのとき高校の先生をやっていて、あれこれあったけど
最後の日には、天使のような女の子がやってきて、
手伝います、とぼくに告げた、と十年後に思い出したい気分になった。

鍵を壊して、ロッカーを開けると
「心には制服を着るな」という言葉が扉の裏に書かれていた。
その隣のロッカーはヌード写真で埋め尽くされている。
たえていたものは青春で、それが奪われてゆくさまも
昔と同じだ。

残されたものを鈴蘭テープでくくる。
一年の女の子の名前はカラシマさんといった。資源ごみでいいですよね、
ありがとう、辞書類は持って帰っていいよ。あっ、ジーニアスまである。
三十八名が残したものは重かった。

終わらないことがあると思っている、思っていても
突然それは終わっている。
終わらないことのなかには終わりにさせたくないことがある、それは
きみがひきずっている物語だが、
ずっと昔の、その日に
それは終わっていた。

カラシマさんのテープの結びがゆるくて、生物や現代文がすべりおちた、
ぼくのテープの結びもだらしなかった、
ゴミ置き場まで何回往復しただろうか? 
落ちるものを拾い上げて歩くのは辛い、
そこまではカラシマさんは手伝わなかったし、
頼みもしなかった。

「若いころ、もっとずっと若いころ、
ひとの助けは全然要らなかった。けど、そんな時は過ぎた…」
本当に終わったのだろうか?
残したものを引きずりながら、
どんなにきつく結んでも
すべり落ちることに向って歩いているのではないだろうか?
Won’t you please, please help me?

2008年3月24日月曜日

淑女たちと

先日は、昔の教え子四名の淑女たちが、ぼくのご苦労さん会ということで一席設けてくれて、新宿などで飲んできました。24年ぶりに会った人もいたが、やはり昔の面影を残しつつ、なお一生懸命に生きている風情に満ちていた、それが嬉しかった。

みんなありがとう。

それにしても真柄さんの業績はすごいね。これからも阪大のドクターで勉強なんて。今でも充分なのにね。今日、インターネットで調べて驚いた次第です。希里穂よ、ぼくに文章の書き方のことなど、もう訊かないでください。

そして、いつもぼくのことを気にかけてくれ、この会をやってくれた則江さま、また声をかけてください。

2008年3月21日金曜日

馬鹿

やめますといいながら、吸ってしまった。馬鹿な私。

さあ、もう寝よう。

2008年3月20日木曜日

音楽展望

吉田秀和の「音楽展望」を読む幸せ。今日の展望では、中原中也が取り上げられていた。実際に中也に会った人で、しかもその思い出を語ることのできる人は、今の日本では吉田秀和一人である。

今日の文章で描かれた中原中也はすばらしい。そのように彼のことを思い出す吉田秀和もすばらしい。読んでいて、涕が出そうになった。


月の光りのそのことを、
盲目少女に教へたは、
ベートーヴェンか、シューバート?
俺の記憶の錯覚が、
今夜とちれてゐるけれど、
ベトちゃんだとは思ふけど、
シュバちゃんではなかったろうか?
(『在りし日の歌』より)

中也が若き秀和に、機嫌のいいときに歌ってくれた、ざれ歌だという。


もう一つ、今日の新聞から。
来日予定だったアントニオ・ネグリにビザが発給されないということで、来日が延期になったということ。
「7月の洞爺湖サミットを控えて入国管理が厳しくなっており」、その余波らしい。笑わせるなといいたい。彼がそのむかし「赤い旅団」と関係があったということで発給を見合わせているとしたら、おかしなことだ。自国のなかの政治は最低のテイタラクだが、いつでも入管関係になると、偉そうになるのはやめてほしい。

2008年3月6日木曜日

歌曲

―卒業式の夜の会では、ゆっくり「おめでとう」を言えないまま、先生の幸せそうないい笑顔を眺めていました。ごめんなさい。
ほかの方々から、そしてこのブログで、先生の好いエピソードたくさん聴かせて、読ませてもらいました。
先生のすべての言葉、すべての振る舞い、すべての表情、全人格を生徒たちは受けとめましたね。教師冥利に尽きる、とはこのことではないでしょうか?
私も見習いたいです。明日ゆっくりお話したいです。

吉田秀和の新著、書評欄で見て読みたくなっています。先を越されました。今週、朝日夕刊に連日インタヴュー記事が出ていますね。読んでおられますか?
昨夜「歌わせたい男たち」紀伊國屋ホールで観てきました。(姜尚中氏が客席にいましたよ)
別の世界にいる人なら「馬鹿な!」と大笑いできるところでしょうが、私にはとても笑えなかった。泣けました。すべてが、あまりにも現実だったから。
うちはいよいよ来週です。では。―

komachitoさんから、上記のコメントを頂戴した。前半部は、ほめすぎ、こちらとしては忸怩たる思いもするが、でもうれしい言葉でした。もうこれで、なんの未練もなく、都立をやめることができます。というのも大げさだが。ほんとうにkomachitoさん、ありがとう。もう少し頑張る元気が湧いてきました。

吉田秀和の新しい本。詩と、それを曲にした「歌曲」の、これは、すべてを味わいつくした人の、それでも感動を忘れない鮮やかで豊かな鑑賞(批評というより)。そこから落ちてくる甘い果汁のようなすばらしい文章を一滴一滴味わいながら読む本である! 楽譜の分析もあるから、楽典などに興味のある人は何倍も楽しめる本である。
雑誌「すばる」に連載中のもの。この本で扱われている詩人たち、その曲。

○ヴェルレーヌ「月の光り」 フォーレが作曲しているもの。

○リヒァルト・シュトラウス作曲「夕暮をゆく夢」 詩はオットー・ビーアバウムのもの。これを述べたこの章のタイトルは「薄暮の夢」とあり、―Bに―という献辞がある。これは吉田秀和の、亡くなった奥さんバルバラさんのことだろう。この献辞がある章が「歌遥か」―もう一度Bに―とある。しかし、最初のページ明記されているように、この本全体が―Bに―ささげられているのであった。

○リヒァルト・シュトラウス作曲「四つの最後の歌」 詩はヘッセ3つと、アイヒェンドルフ(19世紀ドイツ・ロマン派の大詩人という吉田の説明がある)のものが一つ。これはシュトラウス「その人が死ぬ前年に書き上げた文字通り最後の四つの歌」。
ぼくは、これを聴いてみたいと思った。

○メーリケの詩にフーゴー・ヴォルフが曲をつけた「メーリケ歌曲集」など、これへの言及が多い。メーリケは、小説「旅の日のモーツァルト」で日本でも知られた人。

あとは省略して、読者それぞれが、それぞれの好きな詩と歌曲に酔えばいい。この本は、音痴の私でも、曲が、歌が聞こえてくるような本です。吉田秀和は、あとがきに、このあとがきがまたすばらしいのだが、ハイネの言葉をめぐって、「歌曲」の真髄を言い当てている。
ハイネは、
Le lied est le Coeur qui chanteと言ったらしい。「歌曲とは歌う心である」。これをドイツ語訳したものがあり、それはEs ist das Herz, das Lieder singt. それを吉田秀和は「歌曲を歌うのは心である」と日本語で直訳する。そこから、最後に筆者自身の考え、「歌曲とは心の歌にほかならない」というふうに自分はハイネを訳すという。

つまり、「歌曲とは歌う心である」から「歌曲を歌うのは心である」に移り、そして「歌曲とは心の歌にほかならない」という具合にハイネを深化させる。
―歌曲について書いた小文を集めたこの本が、幾分なりと、そういう成り行きに通じるものになっていたら、どんなにうれしいことだろう。― というのが著者のこの本のモチーフである。これは見事というしかないが、浅学のわたしにも、まさに、その「成り行き」の奥深さが感じられてならないというのが読後感である。

ここであげられた歌曲のCDがないか、探したがなかった。でも、ブラームスの歌曲の悠揚せまらざる素晴らしさを述べた章「雲の歌と夜の露の歌」を読み、これがまた、この雲を愛する吉田秀和という人のたたずまいと重なるすばらしい文章なのだが、そこで述べられた歌曲「野辺にひとり」の曲の分析の途中で、ブラームスの特徴を指摘した部分、そこに出てくるヴァイオリンソナタがあったので、それを今から聴こうと思う。でも、その前に、筆者の文章を味わおう。

― 略(「野辺に一人」の曲のアナリーゼ・筆者自筆の楽譜つき) 充足した安定感の響きで出発し、ごく短い乱れのあと、また取り返された確信と平安の思い。これはこの詩全体の構造であると同時にブラームスの音楽の真髄であり、核心であった。私たちはこの歌曲の最初の動きを耳にしただけで、すぐ「ああ、ブラームスだ」と思い当たる。
 この歌曲は彼の作品の多くで実にしばしば出会う一つのパターンの典型的な例で、しかも、その多くが類型的作品に終わらず、むしろ、この巨匠の選りぬきの名作になっているのである。たとえば、ヴァイオリン・ソナタ第一番、ト長調。あの曲の最初のフレーズをきいて、「ブラームス!」と心の中で叫ばない人はいないだろう。―

さあ、これから聴いてみよう。