2008年5月27日火曜日

さねをさねてば

― 伊香保ろの八尺(やさか)の堰(いで)に立つ虹(ぬじ)の、あらはろ迄も、さねをさねてば

【折口信夫による口語訳】伊香保の山の八尺、即ち、幾尺とも知れぬ高い用水壕の辺りに立ってゐる、虹ではないが、あの様に、人の目に付いて現れる迄も、満足する程寝たならば、見つかってもかまはない。―

中沢新一の『古代から来た未来人 折口信夫』を読んでいたら、上の万葉の一首が引用され、古代人の「喩」―異質なものの重ね合わせ―の実例と、それが如実に理解されている折口の訳ということが書かれていた。「類似性能」というのを折口信夫の思考の根源に見て、それが「古代人」折口の直観によるもので、近代的な「別化性能」とは異なるものだというのが、中沢の折口理解の一端である。「類似性能」とはアナロジーである。全く異なるもののなかに類似を発見することが折口の学問の根底にあったというのだ。このことの意味は、中沢にとって、己もそのような学問を作り出したいというほど大きなものである。

虹を媒介として、その「あらはろ」という類似が、恋の露見(あらはろ)とかさなる歌、正確には虹のように現れてもかまわない、あなたと充分に寝ることがかなうならば。この歌の上句を「序詞」などと呼ばないことが中沢のいいところだ。東国の荒々しい恋の歌。

こういう歌を読むと、日ごろ「別化性能」、ちがいだけを言い立てている自分も含めて、その「衰弱」の「あらはろ」さをいやおうなく気づかされる。

和史は今北海道の原野で自力で家作りの第一段階にとりかかっている。その日記を読むと、北海道の寒さが伝わってくるようだ。これも「類似性能」と言っておこう。

2008年5月26日月曜日

五月の死

今年の三月まで勤めていた職場で、一緒に「源氏物語」の公開講座を通算3回にわたって一般の愛好者むけにやった同僚が亡くなった。彼女は一年前に、ちがう職場に異動したのだが、彼女が休職していると知ったのは今年になってからだ。「乳がん」の手術だとわかったのは、その後。術後退院して、抗がん剤治療のために、「ちょっと」再入院したという知らせが、共通の友人からメールで届いたのはこの4月も半ば過ぎ。見舞った友人のメールは「退院して落ち着いたらまた連絡します」そしたら三名で一緒に飲みましょうというものだった。それが22日に亡くなり、24日は雨の日のお通夜。

息子さんと娘さんが残されたが、喪主をした息子さんの挨拶を聴きながら涙を禁じえなかったのはぼくだけではない。斎場には彼女が大好きだったジャズとロックが低く流れていた。それを背景に、どこかかすかな笑みをたたえた息子さんは、「母は堅苦しいことがきらいでした。みなさんがこの雨をおかして母のために集ってこられた、それだけで母はきっと喜んでいることでしょう。どうか、母のために、それぞれが母との楽しい思い出を胸にこのときを過ごしてください。それが何よりの母への供養だと存じます」というようなことをシャイだがよく通る声で語ったのだ。娘さんも兄に負けずに笑みをたたえながら、しかし姿勢正しく会葬者のすべてに応対していた。この二人を見て、ぼくは改めて同僚の凄さを感じた。
残されたこの二十代の兄と妹。彼女が一人で育てきった「傑作」、失礼な言い草かもしれないが、そんなことを思ったのだ。

棺の中の彼女は、普段の豪胆さに似ず、小さかった。「さよなら、さよなら、あなたは決して愚痴を言わなかった、そしてどんなルサンチマンとも無縁だった。」

国立高出身で、渋沢孝輔の奥様に源氏を習った人、大学では小林秀雄を読んだ人。FARMの朗読会に欠かさず参加してくれて、ありがとう。

あなたが好きだったロングピースの一箱が祭壇には供えられていましたよ。入院の時期にはだめだったでしょう?こころゆくまで深く一服してくださいというように。

2008年5月22日木曜日

返信

  ブログの詩について少し考えてみました。
コメント欄に書こうとしたら字数オーバーではねられましたので、メールします。ご意見を聞けたら嬉しいです。(以下本文)
  From what I’ve tasted of desire
最終的にはこのフレーズが難しい。
whatはthe thing whichという先行詞を絡めた関係詞だから、ここでのthe thing というのは、taste の目的語になっているもの。ということはI've tasted something of desire.という文が隠れていると考える。ここのtasteはfavorということで、私の好みから言えば・・・という感じではないのかなあ。当然ながらここの現在完了は「継続」で、ずっと好んできた物。
  But if it had to perish twice,
  I think I know enough of hate
  To say that for destruction ice
  Is also great
  And would suffice.
  had toの過去形は仮定法。「もし二度この世界が滅びなければならないとすれば、(一度は炎に包まれてだけれども)I hate to say (言いたくないけれど)が拡散されて「自分で言いたくないというのは重々承知の上だが」つまり、氷の威力、認めたくはないけれど、ひとたび「破壊」ということになれば、氷もまた非常な力を持っているのでwould suffice (ここが、If it had to perish twice, の従属節を受けた主節です。)「十分効果を持つことだろう」と。
  わたしゃ、熱っぽい一方のすれっからしで、奴らみたいにクールな連中とのお付きいは願い下げだが、ま、破壊ということに関しちゃ、連中に一歩譲るかも知れないねえ。という、こういう詩なのかなあ。
  以上。蒙を顧みずつらつら書いてみました。どなたか私を啓いてくだされば幸甚に存じます。
                                                    (以上)
というのが「字数オーバー」でコメントをはねられたHigumaさんの、そのコメントの全文(メールでくれたもの)です。

 これを読んで、なるほどこの詩のこまかい含蓄が見えてきたような感じです。ちなみに、この詩は、アメリカの詩の入門書に載っていたもので、この手の本によくある「質問」も付いていました。以下、Higumaさんならどう答えるでしょうか?

  (a)What two aspects of human nature are represented by fire and ice?
  (b)In what way is each of these aspects destructive when it becomes excessive?
  (c)Which does Frost see as being more destructive, and why?

(c)の答えはあなたの解釈からもiceになりましょうか。

ところで、E.E.Cummingsの詩にも同じような質問があります。これは具体的であるが故に、難しいのですが、Hiigumaさん考えてみてくださらんか。以下、

  ○ Reorganize the first 6 words of the poem and restate them as a complete sentence.というものです。ちなみに、 the first 6 words of the poemは、
pity this busy monster, manunkind, not.のことだと考えるのですが、どう再編成しますか?

2008年5月21日水曜日

少し詩を

 ぼくのテストは終了。採点はじまる? 詩を二つ読む。一つは、
フロストの“Fire and Ice”という短い詩。

Fire and Ice        Robert Frost

Some say the world will end in fire,
Some say in ice.
From what I’ve tasted of desire
I hold with those who favor fire.
But if it had to perish twice,
I think I know enough of hate
To say that for destruction ice
Is also great
And would suffice.

訳しにくい詩だが、

 世界は火に終わるだろうとある人々は言う
 ある人々は氷に、と。
 今まで経験した欲望から考えると
 ぼくは「火に終わる」と言うほうに賛成する。
 しかし、この身を二度滅ぼさなければならないというなら
 「氷」、うんざりするほどの憎悪、破壊のための、「氷」
 それも強力で、
 それで充分足りるだろう。

というような訳になるのだろうか。こういうgrimな詩でもフロストは整然としたrhymeの進行を見せる。abaabcbcbというrhyme。

もう一つは、Cummingsのわけのわからない(私の力では)詩、でも、これもgrimだが、
Cummingsらしい機知にあふれた詩である。

pity this busy monster, manunkind,

not. Progress is a comfortable disease:
your victim (death and life safely beyond)

plays with the bigness of his littleness
--- electrons deify one razorblade
into a mountainrange; lenses extend
unwish through curving wherewhen till unwish
returns on its unself.
A world of made
is not a world of born --- pity poor flesh

and trees, poor stars and stones, but never this
fine specimen of hypermagical

ultraomnipotence. We doctors know

a hopeless case if --- listen: there's a hell
of a good universe next door; let's go

-- E. E. Cummings

これをだれかが朗読してYou Tubeに投稿しているが、この朗読もいい。興味ある方は以下。
(http://jp.youtube.com/watch?v=bLtAaIE1o4U&feature=related)

Progress is a comfortable diseaseなんて、cummingsならではのフレーズだとあらためて思った。

2008年5月20日火曜日

なんとなく駄句

 今日は山の上の職場に7時半までいた。やっと明日からの前期中間のテスト問題を作成した。修道院はひっそりとしていた。夜の道を車で帰るのは、何年かぶりで、怖かったが、事故も起こさずなんとか。「一太郎」を使って、問題を作ったのだが、これを搭載しているパソコンが少なくて、探すのに四苦八苦した。慣れないのと、印刷室の混雑振りなどで遅れて、こんな時間になったのだ。でも、もっと早く取り組むべしというのがいつもの教訓。

 期末は問題を作っていて、それに合わせて授業をやってみようか。不可能事だな。

 朝方の雨で、家の塗装は中止。台風に備えて、ネットをたたんでくれているので、きれいな月がよく見える。

生あれば五月雨のなか仕事ゆく
夏籠りの尼さんシスター化学教え
昼間の師晩鐘とともにナンになる
被昇天の聖母あがめる学び舎にて
薄暗き御堂にぬかづく乙女あり
エクリチュール抹香くさきは疲労のせい
聖母図を掲げし部屋で太宰語る
授業の合間合間に浮かぶ空
無垢のなか気配兆すは人の子よ
夕さればしじまのなかゆ御堂たつ
浮浪猫と四川の乙女は己呼び
慈しみとは何の謂いぞ聖歌聴く
エゴの花生ある日よりエゴイスト

2008年5月18日日曜日

Cornel West

先日、テレビでコーネル・ウエストCornel Westというアメリカの学者に記者がインタビューしているのを見た。Black-Studiesというのか、Afro-American Studiesというのか、その研究者で、また人種問題の活動家でもある人。オバマの辛辣なサポーターともいうべき黒人学者で、その語り口につい引き込まれたのだった。

 中間考査の問題を作成しなければいけないのに、この学者のことを調べたくなって、インターネットの細かい蟹文字を見すぎて目が痛い。

 まだ若い。そして過激である。それもそのはず、ブラックパンサーの影響から出発した人である。ハーバードを卒業して、そこで教えていたが、学長と喧嘩をして、プリンストンに移った。エールなどでも教えた、というから学者としては、生え抜きの人であろう。自らのrap albumも出している。面白いことに03年に映画“The Matrix Reloaded”にも出演している。
 奥さんはエチオピアの人で、彼は毎年に何ヶ月かはエチオピアに滞在するそうだ。この人の次のような見解に興味がある。ただ過激なわけではないのである。これは、あるブログに載っていたもので、このブログの書き手によるインタビューを交えたCornel Westのプロフィールである。

Cornel West also lives two months out of each year in Africa. In Addis Ababa, Ethiopia, specifically. His wife, Elleni Gebre Amlak, whom he met while teaching at Yale, happens to come from a prominent Ethiopian family.

West says 2,500 people attended their wedding in Addis Ababa. For the Coptic ceremony, West was given an honorary Amharic name: Ficre Selassie, “Spirit of Love.”

“The link between people of African descent here and Ethiopians in my case, but Africans in general, is very important to me,” he says. “For me, it is very different than the imaginary notions of Africa that you often get among Afrocentric folks. Because many – not all, but many – have much more romantic, idealized conceptions of Africa.

“Whereas when I go back home – my second home in Addis Ababa – you’re dealing with just actual human beings. Who do have a rich culture, who do have a grand civilization, but also are involved in tremendous struggles. Against tyrants, against corrupt leadership, against soil erosion, against the [International Monetary Fund] and the World Bank and a whole host of other forces that impinge upon the life chances of African brothers and sisters on the continent.”

What Prof. West has seen in Ethiopia seems to confirm his analysis of race in America. There, “you have a people never been colonized by Europeans,” he says. “Which means they’ve never had white-supremacist tricks played on their minds. Which means that they’ve never doubted their humanity.

“Which means they’re tremendously self-confident. They just assume that they’re not just human but they’re great, they’re capable of anything.

“For we Africans who have had white-supremacist tricks played on our minds, we got to deal with self-love and self-respect and self-affirmation,” West says softly. “Those are fundamental issues in our lives. Because it’s hard to love oneself in a white-supremacist society. It’s hard to trust one another. But they don’t have those kinds of battles.

こういう人がいる、という備忘録。

日本の記者に対して答える、その柔らかな自在さのような感触が、この記事からもわかるような気がする。

2008年5月16日金曜日

朧月

 女房と猫の二人はこの情景を鬱陶しいというけど、ぼくは風情があっていいと思う。塗装のために家の周りに張られたネットのこと。普通の?シートとは異なり、こまかい網目状になっているから、外が見える。その見え方の朧さ。今日の月もそうだが、外界が霞みや靄の中から浮かび上がるようにしてしか見えないというのは、結構いい。これが全然遮断されていて見えないというのはまた違う気持に誘うだろうが、現在のぼくの気持はこんなもんだ。霞、靄にゆるりと遮蔽されている。それに音も普段より柔らかに聞こえる。退行現象の一つだろうが、まあ、いいではないか。

 閑話休題。『源氏物語』千年紀の話題が朝日新聞の夕刊の連載に取り上げられていた。その提唱者の角田文衛氏が亡くなった。源氏物語の興隆と交流のためにさまざまな努力を惜しまなかった人だったろう。ぼくが読んだのはこの人の膨大な著作のなかのわずかなものに過ぎなかった。中村真一郎との源氏に関する対談集や、平安末期の院政期の後宮の、これは何度読んでも覚えられない関係なのだが、一人の女性の伝記、多淫の父天皇(法皇)とその息子の天皇にも通じた女性の話。名前を忘れちゃった。博引旁証の藪のなかで、私は迷うだけという感じもあったが、読後感は悪くはなかった。式部に関して言えば、式部の「名」を考究したり、「夕顔」の巻の読解で、歴史地理的な博引を広げたりしたことなど、そういうことが、この人に対するぼくの貧しい知識のすべてである。享年95歳か。源氏アカデミズムとは一線を「画された」人のなかの一人ではあろう。

 大野晋先生も丸谷才一と一緒に取り上げられていた。

 源氏アカデミズムと変な物言いをしたけれど、本当はそんなものなどどこにもなく、それぞれの源氏があるだけ、ということかもしれない。霞のなかから、朧月がもっとも朧に見える夜だ。

2008年5月15日木曜日

錦官城

舎西の柔桑 葉とるべく
江畔の細麦 復た繊繊
人生 幾何ぞ 春已に夏になり
香醪(こうろう・香しい濁り酒)をして蜜の如く甜からしめざらんや

家の西のやわらかな桑の葉はもう摘み取ってもいいころだし、
川べりの細い麦もすいすいとのびだしている。
私の命はあと幾らあるというのだ、春はもう夏になりかけているではないか。
香しい酒をして蜜のようにあまくさせずにはおけるものか。

 杜甫エグザイルの土地、四川省は成都での小康状態のときの詩の一つ。また「花は錦官城に重からん」と詠じた錦官城・成都周辺、蜀の四川、孔明の地が壊滅状態になっている。
1200年余り昔の政府は安史の乱で衰退に向ったが、日の出の勢いだった今の政府は未曾有の天災の前に手をこまねいているようにも見える。その間にも、杜甫が歌った絵のようにのどかな農漁村(その変化はめざましいが)の「人民」たちの命は危殆に瀕したままである。

 ビルマのサイクロンも含めて、広大なユーラシア大陸の東北、東南で多くの命が奪われる。一方は世界経済市場で先進国のなかにぬきんでようとする国、一方はクメール・ルージュを思わせるような軍事独裁の国。それを対岸の火事のようにながめる資格は、どんな意味でも、ここにはないけど。

 
つかの間の平穏にすぎないが、杜甫の同じ頃の成都の草堂での律詩、

江村

清江 一曲 村を抱いて流る
長夏 江村 事事幽(しず)かなり
自ずから去り自ずから来る梁上の燕
相い親しみ相近づく水中の鴎
老妻は紙に描いて棊局(ごばんのこと)を為(つく)り
稚子は針を敲いて釣鈎(ちょうこう・つりばりのこと)を作る
多病 須(ま)つ所は唯だ薬物なり
微軀 このほかに更に何をか求めん

せめて、こういう幸せをマン・メイドの制度や天地の変異に対置したくなるのだ。そこから見えてくるものを考えつつ。

2008年5月14日水曜日

Le procès-verbal 調書

 今日から、あばら家の外壁塗装が始まった。仕事に今日は遅く行っても間に合う日なのだが、職人さんたちの邪魔にならないように車を出さなければならないので、8時頃に出かけた。ひどい雨だったが、もう工事のために二台ぐらい車が待機していた。挨拶をして出かけた。女房が、なるべく遅く5時くらいまで帰るようにせよというので、つまりその間に塗装のために我が家の周囲にパイプが組まれ、シートが張り巡らされる、それが終わる頃に帰ってきたら、というので、普段なら2時頃には授業も終り帰るのだが、昼飯も外で食べ、そのあと、ドトールで本でも読もうと考えて家を出た。職場を出るころには、雨は止んでいた。うまいうどん屋があったのだが、それがつぶれて中華料理屋になっている。そこで初めて食べた。葱ラーメンと半チャーハンのランチセットのうちの一つ、750円という安さに比して私には美味だった。そのあと、これも久しぶりでブックオフをひやかした。洋書コーナーというのができていたので、覗くと、なんと、サルトルの「想像力」と、ル・クレジオの「Le procès-verbal 調書」のフランス語原書が105円の底値で売っているではないか。一体どんな人が、売ったのであろうか?あと、英語の本を三冊、すべて105円のもの、合計五冊525円の買い物をして、湯殿川ぞいのドトールに行く。フランス語の二冊は読めるはずもないが、もったいない?ので買ったのである。けっこうドトールでねばり、5時近くに帰宅すると、周囲にはやぐらが組まれ、シートが張り巡らされていた。家の中から外を覗くと、モヤがかかったみたい。これが三週間近く続くというので憂鬱である。水洗いから始まり、塗装に移るのだが、明日は休みらしい。下請けの職人さんたちは、それぞれの作業によって違う人たちが来るようだ。今日はやぐらとシートで終了ということみたいだ。

2008年5月13日火曜日

短歌の功徳

○ 我が生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ (茂吉『つきかげ』)

茂吉晩年の歌集の一首だが、この歌について鮎川信夫の以下の鑑賞がある。

―― 平凡な、とりたてて言うことのなさそうな歌である。それなのになぜこの歌が心に残ったかと自問してみると、全く個人的な理由からである。
 私の家では、納豆を食膳に供するという習慣がなかった。それで、たまたま気づいたときに「おのがため」それを買い求めるくせが、私にはあったのである。
 若い時なら、そんなことはあっさり見過ごされる。しかし、働きが鈍る老境ともなれば、話が違ってくる。「おのがため」にする一切の挙措が、孤独の影を帯びるようになる。それが、納豆を買うというような、些細なことであれば、なおさらそのみじめさはいやますのである。――

 「そのみじめさはいやます」というところに鮎川自身の晩年の「みじめさ」を見つめる姿勢が毒のように出ていて、茂吉の悠悠然とした耄碌ぶりを相対化している。この歌に「孤独の影」を読みとるのは鮎川の視点である。と、書いて読み直すと、不思議なことにこの歌がそう読める。読むものによってこそ、読まれるものは輝きもし、鈍くもなる。

 腰折れにならないように、何か代入できないか。

○我が生はかくのごとけむおのがため(     )帰るゆふぐれ

①口笛吹いて
②食パン買ひて
③奉仕に疲れ
④万馬券買ひ
⑤人を殺して
⑥棺をかつぎ
⑦夜スペ開き

もとより、「納豆買ひて」にかなうはずはない。

2008年5月12日月曜日

緩叙(litotes)

①私はうれしい。
②私はかなしくない。
③私はうれしくないわけではない。

①の平常文に対して、②は緩叙法であり、③も二重否定の緩叙法である。

 緩叙法の古典的定義は佐藤信夫の参照しているピエール・フォンタニエによると「あることがらを積極的に肯定するかわりに、それとは反対のことがらをはっきりと否定する。あるいは、そのことがらを、程度の差はあるにしてもとにかく、弱めて表現する。その意図はまさに、緩叙表現がおおいかくしている積極的な肯定に、いっそうの力と重みを与えることにある」。佐藤はこの後半の「弱めて表現する」という定義と、「意図」に関する説明を留保して、「あることがらを積極的に肯定するかわりに、それとは反対のことがらをはっきりと否定する」ということを緩叙法の定義として採用する。後者の定義は誇張の逆であり、この表現の意図については「ひたすら強調するとはことにある、とは考えにくい」という理由からである。

 佐藤は緩叙法(ライトティーズ)の意図を大きく次のように説明してみせる。

――  ある大きな黒いものが目の前に立ちはだかっているとき、ただそればかりを見ていると、やがてそれは黒いものとして感じられなくなるだろう。黒さに取りまかれ、私たちは黒い世界のなかにあり、その黒さが自然のようになる。なぜなら、そのそばには、比較検討すべきほかの色が存在しないからだ。万一私たちが、生まれてから死ぬまでその黒さのなかにいるのだとしたら、それを黒さと呼ぶことも、知らずに生涯をおえてしまうかもしれない。緩叙法は、存在しない白さを、強引に思い浮かべる方法である。その想像力の働きによって、はじめて私たちは、黒いものが《白くない》ものであることを知る。緩叙的姿勢が、ときには私たちにとって認識上の救いになる。(『レトリック感覚』)――  

①私はうれしい、という文にもどろう。「うれしい」ということだけを私たちが知っている世界、あるいはそう強いられている世界を想像せよ。あるいは強制的にそうであるようにさせられている世界、社会、国などを想像せよ。「私はかなしくない」と、そこで発言することは、その世界では許されないだろう。でも、そう発言することがその体制に罅をいれることにもなろう。かすかな罅。「かなしくない」という発言が成立させる認識は「かなしさ」のすぐ隣にあり、「かなしさ」を誘発させることにもなろう。③の二重否定はもっと微妙に隠微であるがゆえに、もっと権力者の忌避にふれるものになるかもしれない。「認識上の救い」とは、言語の無意識の力の発動にもなる。

田村隆一の詩の一節を思い出した。

  晩年のムンクの自画像を見て
  ぼくはぼくらの時代の漂流物が散乱している
  虹色の渚を帰ってきた
  病める生というものはない
  生そのものが病んでいるのだ

  裸足の青年がひとり
  むこうから歩いてくる           (『新年の手紙』「虹色の渚から」)

 「病める生というものはない/生そのものが病んでいるのだ」という表現は、小林秀雄の「美しい花がある、花の美しさというようなものはない」などと似た形式の表現だが、この二つのフィギュール(あや)は、もちろん緩叙法ではない。一種の漸層法(クライマックス)的な強調の仕方だが、小林はさておいて、私には田村の言い方には緩叙法的な余韻があるような気がする。この表現には「救い」があるから。「病める生」の否定は「健康な生」であろう、そのようなありふれたアントニムを破壊するような認識がここにはある。「生そのものが病んでいる」ということが「健康」の見捨てられた、しかし重要なもうひとつの認識の側面であることを知らされる。「むこうから歩いてくる」裸足の青年のきらめく肉体。

2008年5月11日日曜日

誇張(hyperbole)

処女作『鶴』の評判は、「彼」の傲慢な意気込みと期待に反してさんざんな批判をもって迎えられた。なかでも「…作者は或ひはこの描写によって、読者に完璧の印象を与え、傑作の幻惑を感じさせようとしたらしいが、私たちは、ただ、この畸形的な鶴の醜さに顔をそむけるばかりである」という手厳しい批評は「彼」をうちのめした。

 彼はカツレツを切り刻んでゐた。平気に、平気に、と心掛ければ心掛けるほど、おのれの動作がへまになった。完璧の印象。傑作の幻惑。これが痛かった。声たてて笑はうか。ああ。顔を伏せたままの、そのときの十分間で、彼は十年も年老いた。
                        (太宰治『晩年』「猿面冠者」)

「誇張法」(ハイパーボリ)という、ことばのあや、の「心情的な誇張法」の例として佐藤信夫(『レトリック感覚』)があげているものだ。そして次のように説明している。とても面白く的確である。
 
 
 …魅力的な誇張法の大部分は知的に機能するけれど、この太宰の誇張法が生み出すものは、屈折した心情にかかわる、悲しいユーモアであろう。もちろん、知的な側面がないということではない。言語がみずからのいたらなさを大形に真似してみせるというパロディーのユーモアが、まったく知的でないわけにはいかない。
   しかし、「そのときの十分間で、彼は十年も老いた」とは、心情の誇張的事実を誇張的に記述したことばである。割り引かれる分だけあらかじめ掛け値をしておくという、見かたによってはいやな表現は、知的であるよりは心情的な計算だ。その計算を私たちがときどきいや味に感じるのは、とりもなおさず、それがやむにやまれぬ心情をさらけ出しているからである。異様な事実を「異様だ」と書いたのでは、正確に伝えることは困難だ。奇妙なようだが、考えてみれば当然ともいえるので、つまり、「異様な」ということばは申し分なく正常な形容語なのである。異様な事実は、その異様さにふさわしいそれ自体異様なことばでしか伝えられぬという、いわば《掛け値理論》の計算をほとんど本能的に承知しているのは、知性ではなく心情であった。

 
 佐藤のこのような説明を読むと、この人の言語観というのが分かるような気になる。基本的に、誇張(法)というのが「言語がみずからのいたらなさを大形に真似してみせる」という考えは、言語が真理を伝えるものであるというような考えとは正対するものである。言語とは、うそ、をつくしかないものであり、正確にはうそをまとわりつかせるしかないものであり、そこからの離脱にいたる、たえざる、なみだぐましい努力がレトリックを産出するということなのである。またそのプロセスでいくらでも「うそ」はまとわりつくであろう。スローガンやプロパガンダの言語でないかぎり、とくに太宰のような文学作品における「心情」という厄介なものを言語的に成立させるためには、それこそ隔靴掻痒の思いに絶望しながら、大幅な《掛け値》的表現のエクリチュールが展開されねばならないのだろう。彼の「真」と「信」は、偽りと不信の道からしか出現しないのかもしれない。

2008年5月8日木曜日

黙説(aposiopesis)

 久しぶりの授業。佐藤信夫『レトリック認識』からの問題文。連休中に読もうと、この人の二冊『レトリック感覚』『レトリック認識』を購入していた(ともに講談社学術文庫、前者は78年、後者は81年だが、文庫版はともに92年の刊行)。『レトリック感覚』の奥付を見ると、07年までに25刷とあるから、すごいベストセラーである。拾い読みしかできなかったが、わかりやすく、また引例の文章が魅力的で面白い。レトリックが単なる表現の「技法」ではなく、認識と発見の「造型」としての<ことばのあや>であるというのが筆者の基本的な見解である。

  葉蔵は、はるかに海を見おろした。すぐ足もとから、三十丈もの断崖になってゐて、江の島が真下に小さく見えた。ふかい朝霧の奥底に、海水がゆらゆらとうごいてゐた。
  そして、否、それだけのことである。          (太宰治『道化の華』)

これは、そのレトリカル・フィギュアの一つとして分類されている「黙説法」aposiopesisの例文である。語らぬことも言語表現を成立させるための重要な因子の一つである。「そのものがたりをそこまで読んできた私たちは、海を見はるかすその風景のなかで、若い男女の心のなかにも何かがゆらゆらとうごいているのを感じている。そこまでの叙述はあきらかに私たちのささやかな想像力をそそのかして来たのだ。最後の一行が<そして>と書きはじめられているのは、読者の想像力への奇妙な、小さな誘惑である。直後に裏切るための微笑に似ている」と佐藤信夫は、これも名文と私には思われるが、書いている。

 詩のなかに「………」を入れて、これと似た、読者の想像力を能動化させるような書き方をする人も多い。
そのとき、詩の読者が、「臨時の詩人」になって、残りの意味を産出するようなことがあるのだろうか?佐藤信夫は、このあとにそういうことを書いているのだが。

 こういうことを考えながら生徒たちと一緒にこの文章を読んだ。帰ってから、太宰が読みたくなり、家中探したがない。息子(太宰の愛読者)の本棚も調べたが一冊もない。太宰だけはすべて持って行ったのだなと思った。

 そして、否、それだけのことである。

2008年5月6日火曜日

高尾

 
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連休の最後の日。ヘルパーさんに来てもらい、午後から女房と高尾山に行く。京王片倉駅から高尾山口駅まであっという間に着いた。昼飯を食べようということで、名物のとろろそばの店、ほとんどそうだが、どの店も長蛇の列。国道沿いのちょっとした高級「割烹」の感のする店のまえには列がなかったので、そこに入る。しかし、二階の大広間に通されると、そこも満員近い状態だった。老若男女というか、ぼくらもふくめて老老男女。冷やしとろろと冷やし天とろを食べる。ビールはきりんのラガーの中瓶一本。美味しかった。

満員のケーブルに乗り上まで。夏にオープンする野外のレストランは展望台になっている。もうすぐまた飲み放題がここで始まる。巨大な「蛸杉」を拝み、ゆるゆると薬王院まで歩く。新緑のなかに石楠花の花が咲いている。参道の杉並木に圧倒されながら、老夫婦は天狗さまのご利益を祈りつつお参りしたのであったとさ。

 
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2008年5月2日金曜日

五月に

季節はずれの歌について書く。友人から頂戴した、―吉田秀和『永遠の故郷 夜』歌曲選集―に入っているR・シュトラウスの歌曲《万霊節》のこと。友人はこの曲を二人の歌手のCDから入れてくれている。一つはブリギッテ・ファスベンダーの歌、もう一つはジェシー・ノーマンが歌っているもの。二人の歌の優劣ではなく(ぼくに、そんなことができるはずはないが)、この詩がとてもいいので書きたいと思った。ドイツ語は読めないけど、鬚のようなものが幸にもあまりついていないので書き写してみる。訳は秀和さんのもの、その本から。原詩はヘルマン・フォン・ギルム。

Allerseelen

Stell’ auf den Tisch die duftenden Ressden,
Die letzten rotten Astern trag’ herbei,
Und laß uns wider von Liebe reden,
Wie einst im Mai.

Gib mir die Hand, daß ich sie heimlich drücke,
Und wenn man’s sieht, mir ist es einerlei,
Gib omir einen deiner süßen Blicke,
Wie einst im Mai.

Es blüht und duftet heut’ auf jedem Grabe,
Ein Tag im Jahr ist ja den Toten frei,
Komm an mein Herz, daß ich dich wieder habe
Wie einst im Mai,
Wie einst im Mai.


 万霊節

よく匂う木犀の花をテーブルにのせて
そこに赤い残菊をつけそえよう
そうやってから もう一度愛を語ろうよ
かつて 五月 そうしたように

手を出して ぼくにそっと握らせて
誰かに見られたって かまわない
たった一度でいい 君の甘い眼差しをくれないか
かつて 五月 そうしたように

今日はどの墓にも花が咲き 香が漂う
そう 一年に一日 死者たちが自由になれる日
ぼくの胸に来て またぼくのものになっておくれ
かつて 五月 そうしたように
かつて 五月 そうしたように


 「万霊節はカトッリクの祭日で11月2日、日本の秋の彼岸みたいに、みんなが死者を悼んでお墓詣りにゆく日」と秀和さんは書いている。そこから言えば、季節はずれだが、でもまぎれもない五月の詩。失われた切ない五月の詩。Wie einst im Mai.のリフレインをR・シュトラウスがどのように処理しているか、これは聴くものだけに許された歓び!

この曲で「五月」を知らされた。そこからシューマンの「詩人の恋」の冒頭の曲、ハイネの’ Im wunderschönen Monat Mai’が聴きたくなり、それを聴いた。「リーダークライス」もついでに聴いていると、詩はすべてアイヒェンドルフではないか。吉田秀和のこの本の中で、一番力を入れて書かれているのが、R・シュトラウスがその死の前年に作った歌曲、「四つの最後の歌」についてだが、これはヘッセの三つの詩と、アイヒェンドルフの《夕映えの中で Im Abendrot》という詩に曲をつけたものである。秀和さんは、このアイヒェンドルフの《夕映えの中で Im Abendrot》という詩とその曲について、ちょっと凄すぎる鑑賞をしている。このことについても書きたいが、もう疲れた。でも、Im Abendrotは傑作です。

五月、今は雨が降っている。

2008年5月1日木曜日

吉田秀和著『永遠の故郷 夜』歌曲選集

 吉田秀和の『永遠の故郷 夜』に取り上げられている歌曲のどれでもいいから聴いてみたいと、読んだとき思った。忙しさにまぎれて、そのことを忘れていた。ところが、今日友人から、手造りのCD二枚が送られてきた。吉田秀和の写真の表紙をつけた本格的なもの。あっと、驚いた。きれいに印刷されたタイトルを見ると、吉田秀和著『永遠の故郷 夜』歌曲選集とあるではないか。添えられた手紙を読むと、秀和さんのこの著作鑑賞の一助として奥様の求めに応じて、所有のCDから作ったものということだ。小生の「退職祝い」にもと考えてコピーしたとある。持つべきは友である。そのなかでも、こんなにクラッシクに堪能な友人はほかにはいない。お互い『源氏物語』が好きで、公開講座などを一緒にやったりした。彼は今、そのメンバーたちの何人かと月に一回ほどの源氏講読のサークルをボランティアでやっている。去年、ドレスデンのオペラにもチケットがあるからと誘われたのに行けなかったこともあった。(Kさん、今年は暇をもてあましています、いつでもお誘いください。)今晩から、少しずつ、本を参照しながら、聴いていこう。Kさん、ありがとう。