2008年12月20日土曜日

旅人かへらず

透谷顕彰碑
 
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白秋・赤い鳥小鳥
 
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西脇順三郎の『旅人かへらず』の57番と126番に、「さいかち」という植物が出てくる。正確に調べていないので、あるいはもっと出ているかもしれない。

57
さいかちの花咲く小路に迷ふ

126
或る日のこと
さいかちの花咲く
川べりの路を行く
魚を釣つてゐる女が
静かにしやがんでゐた
世にも珍しきことかな

「さいかち」って何だろうという思いが、頭の隅に残っていた。不思議なことに『旅人かへらず』を読み直したりするごとに、この植物のことを思い出していた。頭でっかち、というようなことばとライムを踏ませたりしたのは、西脇のでかい頭のことをまず思わざるを得ないからなのかもしれなかった。

千石英世さんの『9・11/夢見る国のナイトメア』という最近まとめられた本、そのⅢのパートは『翻訳から文体へ』という見出しで様々なエッセーが収録されている。そのなかの「乾いた文体」と題されたどこかでの講演の記録のようなものが特に面白かった。これは英文学者、福原麟太郎のエッセイをもとに、「文体」に対する千石流の自由な思考が展開してゆくものの一つだ。福原は「濡れた文体」と題してオール日本の小説家を批判し、その対極に西脇の文体を「乾いた文体」として挙げる。千石さんはそこから、ロマン主義の文体の「濡れ」を指摘し、小林秀雄に代表される批評の「濡れた文体」の特徴を「否定」の文体というようにまとめている。面白いことに、「乾いた文体」の保持者には英文学者(吉田健一を思え)やそれにシンパシーをもつ人が多くて、「濡れた文体」は仏文の徒が多いという。この指摘はさもありなんとぼくも思った。そこで挙げられている西脇を、特にその『旅人かへらず』を読み直したということだけの話で、千石さんのご本のことやら、その文体論の面白さなども含めて、金曜日の立教での授業で話したのである。西脇順三郎という詩人のことを学生諸君にどういうようにぼくは話したか。

――思想や倫理から限りなく遠い詩人、
疲れているとき読み返すと癒される?癒されるかも、
オタクのきびしい原型かも、でも、だから、かぎりなく自由かも、
限りなく、限りなく、この世を超えた「幻影の人」を
実にチンケな日常の中に見出す手品師だけど、
そういうことを含めてだれもこのひとの有する「距離」を
本当に計測した人はいない、
西脇における女の重要性をだれか考えて欲しい、
それから、彼の言う「淋しき」の爆発力と無力を、――

こういうことを喋って授業を終えた。そのあとぼくは新宿からロマンスカーなるものに乗り箱根へ逃げ出した。

この計画は、十一月に亡くなった義父が生きていたときに、女房と二人で考えたものだ。介護専門の女房の気晴らしに、12月に義父をショートステイにやり、箱根でも行こうというものだった。ホテルも予約していた。義父はスパッという感じで亡くなった。すべてぼくらには配慮すべきなにも今はないのである。

箱根で一泊して、今日は強羅のポーラ美術館というところで、「佐伯祐三とパリ」という特別展を見た。馬鹿にしていたが、ものすごくハードな深みのある展覧会であった。ひどく疲れた。この美術館のたたずまいも魅力あるものだった。

帰りは小田原で下車した。箱根には何回も行ったことがあるのに、小田原は初めてだった。すてきな町だった。透谷の顕彰碑を見た。そのあと、小田原文学館に行く。なんとそこでぼくは「さいかち」に再会したのである、いや正確に言うと、そこに行く道が「西海子小路」というのである。サイカチ小路だ。この路の端正な姿に感動する。サイカチが棘のある豆科の植物で、この通りには二本しか残っていないが、通りの名を記念してプレートまであるのだから、小田原の凄さを見た。この通りの家で、谷崎と佐藤の確執があり、それよりもっと昔には、齋藤緑雨が住み、いや小田原とは実は文学者の町なんだということを改めて確認したのである。まず、透谷、ゼーロンの牧野信一、「民衆詩派」詩人の福田正夫、かれらはこの土地に生まれたが、この地の風光にひかれてここに住んだか仮寓した文学者は多い。まず北原白秋と尾崎一雄。二人は小田原文学館の別館に一雄はその書斎を再現し、白秋はけっこう豊かな展示のある「白秋童謡館」なる瀟洒な家屋で記念されている。

そこを観ているうちに、昼飯を食っていないことを老夫婦は思い出す。小田原で途中下車したとき、駅で帰りの切符は買った。六時半だ。今はもう4時半を過ぎた。男の方は、酒を飲みたい。川崎長太郎も小田原の作家なのだった。幻影の抹香町を求めたい。駅へむけて歩みをすすめた。なんと、長太郎が日参したという「だるまや」を発見。そこで食べて飲みました。


小田原のさいかち通りの淋しき
思い出せない首吊りあとの淋しき
ロマンスなきロマンスカーの淋しき
木枯らしの橋を渡れば他国かな、尾崎の句の淋しき
牧野の雑誌「文科」すべて四輯の淋しき
辻潤もこの地を愛した、それの淋しき
透谷とミナの霞んだ写真の淋しき
赤い鳥小鳥の淋しき
ニシワキやサイカチの枯れて淋しき
サイカチ通りで狂信者に遭へる淋しき
だるまやで川崎長太郎に遭えぬ淋しき

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

不思議なことに、同時にわたしも西脇を読んでいました。それは、旅人の書いたエッセイではありますが。でも、これも詩だ。

小田原というと坂口安吾も思い出します。ぼくも好きな町です。こんなに文学と縁が深かったとは、初めて知りました。