2009年2月17日火曜日

四山の瓢

ここ一箇月近く芭蕉関係の本を読み散らしている。嵐山光三郎の『芭蕉の誘惑』『悪党芭蕉』、中山義秀『芭蕉庵桃青』、ややアカデミックなものでは尾形仂―「おくのほそ道」を語る―、堀切 実、今 栄蔵などのもの。これから読むものも、読んだ本も。大体寝る前に、布団の中で読むのだが、読み始めるとすぐ眠くなる。しかし、これらに引用されている芭蕉自身の句や俳文などに向かうときは眠くはならない、威儀を正してというか、危座してというか、そんな気持ちで向うからか、いや単純に、すごく面白いから。最近読んだ中で面白かった芭蕉氏のもの。

① 四山の瓢(天和の火事で焼けた芭蕉庵の再興時に寄進された大きな瓢箪のこと。それにまつわる友人、山口素堂君の五絶にペダンテイックだが気合いのこもった文章で和したもの。老荘哲学への親炙)
「ものひとつ瓢はかろき我よかな」

② 「乞食の翁」句文(①よりも前。推定天和元年の「寒夜の辞」と同年。杜甫の詩の引用からはじまるが、その詩とは無縁。言いたいことは、侘び、であり、多病、であり、それらが形成する「乞食」の位相への飛躍である。これまでの談林的世界との訣別の短いマニフェスト)
 「櫓声波を打てはらわた氷る夜や涙」
 「氷苦く偃鼠が咽をうるほせり」  ― 四句のなかの好きな2句を掲げた。―

③ 「閑居ノ箴」(「酒のめば」の詞書) (貞享三年と推定される。これは①も同じころの作ということだから、①の漢文調のスタイルに対して、和文の感じが強い。芭蕉氏の柔軟さを思う。)
「酒のめばいとど寝られね夜の雪」

④ 柴門ノ辞(これは晩年、元禄六年に弟子の許六が彦根に帰るときに餞別とした与えたもので―予が風雅は夏炉冬扇のごとし―などという超有名な文句もある。芭蕉門の聖書の一つ。私は、そのなかの次の言葉に感銘したので、覚えておこう。―古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ。―芭蕉氏はこれを「南山大師」の言葉として書いているのだけど。)

まとめる必要などないのだが、こうして書いてみると少し整理されたような思いになる。すべて未だし。午後に八王子に出て、松岡書店、佐藤書店を覗く。これは八王子の二大古書店である。桐山襲『スターバト・マーテル』(河出文庫・105円)、矢田挿雲『江戸から東京へ(六)』『江戸から東京へ(七)』(中公文庫、各200円)、一番の買い物は『與謝蕪村の小さな世界』(芳賀徹・中公文庫)を315円で売ってあり、それを購入したことか。町を歩きながら、酔っ払い二世大臣などのことを西鶴はどう書くだろうかなどと思ったりした。

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