2009年4月1日水曜日

三月尽

三月尽

○ 深川や屋根に鴻居る弥生尽   千梅

加藤郁乎の『江戸俳諧歳時記』のなか「三月尽」の項のなかで挙げられている一句。「鴻」はコウで、ヒシクイという雁鴨目の一種とある。今辞書(大辞林)で確認してみると、大形のガンで、日本には冬鳥として渡来、天然記念物、沼太郎ともいうとある。ヒシの実を好むからヒシクイというわけ。以下は加藤郁乎先生の解説。「…深川には富商の材木問屋の豪邸のほか、干鰯場もあったから、北へ帰る大雁のコウが羽をやすめていたのだろう。…あるいは、鷹狩りの鷹に追われて迷い込んだものかもしれず、…」

○ 雑誌『飢餓陣営』34号。倉田さんの連載「日本の絵師たち(二)」の「蕪村南画」を読む。蕪村晩年の俳画の特色を「略すこととイデーの実現」の切り離せなさ、「画と句と…書これらが高速で交錯する」というような言い方でとらえている。「岩くらの狂女恋せよほとゝぎ寸」の句の倉田さんの読み筋も面白い。

29日

中村隆之・菜穂夫妻と吉祥寺で会う。中村君は、ぼくが彼の高校時代の2年間担任をした「教え子」の一人で、今はフランス文学の研究者、菜穂さんは彼の外語大の後輩でペルシア文学の研究者。この二人は結婚したての素敵な夫婦である。中村君はこの4月からカリブのマルチニック島の大学に研究員として行く。菜穂さんもついていく。公園よりの「いせや」の煙のなかで話ははずみ、2次会はearth riddimというジャマイカ仕様のお店に案内され、ラム酒を飲みながら、若い優秀な研究者の夢と情熱を分けてもらった。ありがとう。お土産までもらって。隆之君の訳したグリッサンの詩も、菜穂さん自身が「泉と芝生の地平に昇る陽射し」そのものではないかと思ったのだが、この一節のある菜穂さんの訳された詩人Nader Naderpurの詩も、すてきだった。ありがとう。中村君は今グリッサンのフォークナー論を訳していて、夏頃には上梓されるという。グリッサンはフォークナーから大きな影響を受けていたのだ。中上健二のフォークナー論のことなども教示された。家に帰ったのは日付が変わる寸前だった。少しも疲れなかった。

28~26日

○ 夏草や兵どもが夢の跡    芭蕉
  卯の花に兼房見ゆる白毛かな   曽良
  五月雨の降り残してや光堂   芭蕉
 松島や鶴に身を借れほととぎす  曽良
(島々や千々に砕けて夏の海  芭蕉)

26日
松島に着く。はじめて東北新幹線に乗った。北に荒野を裂いてゆくという感じで走る、朝方の日の光に照らされた山々を眺めているうちに2時間ちょっとで仙台に着く。そこから仙石線に乗り換えて12時30分ころに松島に。船で一周したのち、雄島と瑞巌寺。雄島で人がいなかったせいもあり、文庫本の「おくのほそ道」を取り出して、松島の項を大きな声で音読した、海に向かって。女房があきれて、立ち去ったけど気にしない。

 
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27日
東北本線の松島駅から一関まで。電車の時間まで一時間近くあったから、松島駅近くの「藤田喬平美術館」というガラス工芸で文化勲章を受章した人の記念館に行く。写真は自由にとっていいというのがよかった。ベネチアングラスというのか、ベネチアと松島はよく似合う、というのが藤田の考えだったらしい。一関で乗り換えて平泉へ。すぐだった。世界遺産への登録問題で最近いろいろとあるようだけど、駅前の街並みもそれを意識しているのか、非常に統一された景観を演出しようとしている。電信柱は地下に埋めたらしい。道幅も大きくして、住居も条例をつくり、色調やその作りも、某漫画家のような奇抜な家などを規制している。まず駅前の「泉屋」という、和泉三郎ゆかりという絵入りの縁起がその店には手書きで貼ってあったが、その蕎麦屋で山菜入りの蕎麦を食う(寒かったのであたたかいやつ)。これがかけねなしにおいしかった。それから毛越寺、中尊寺(雪にふられた)、高館と強行軍で回る。高館は午後4時過ぎか。義経堂の前で、下に流れる北上川の流れを見ながら、「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。…」とまた大きな声を張り上げて読んでみた。馬鹿である。

 
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(毛越寺の遣水遺構)
 
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(光堂・鞘堂)
 
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(高館より望む北上川)
 
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28日
帰りの新幹線が午後4時過ぎの一関発。それまでに時間があるから、思い立って平泉から花巻まで行く。花巻の宮沢賢治記念館。高揚と沈潜の繰り返し。一言では言えないなにか、鉱物のように持続する意思を深く感じた。東北を実感したのは、この雪の舞う賢治記念館だった。この日、結婚39周年目。芭蕉が奥の細道の旅に出て、320年目、義経が死んで820年目、芭蕉が平泉を訪れたのは義経没後500年目、ぼくが平泉を訪れたのは芭蕉没後315年目、そして、賢治が、Tertiary the younger mud-stone と歌うイギリス海岸の泥岩は新第三紀のものか?はるか2400万年前の地層。「あおじろ ひわれに おれの かげ」。
義経も芭蕉も賢治もぼくらも、その時間のなかに生息している「かげ」のようなものだ。泥岩の一粒の微粒子。東北の深さとはるけさのなかに、春はふけてゆく。

 
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2 件のコメント:

k.t1579 さんのコメント...

3月19日は公民館から何百メートルの職場に居ながら伺えずじまいでした。
なかなか近いようでニア・ミスのような最近ですね。

21・22日に広島、27~29日に別府と佐賀を訪ねました。
別府・大分では「とり天」を堪能しました。

松島は父の実家から数キロの所ですが3月の風情は蕃さんの朗読心を刺激したのですね。

ban さんのコメント...

今度は何かの折にはぜひまた会いましょう。