2009年10月2日金曜日

美と真

池袋2回目。今日は先週よりも受講生が増えていたが、まだ確定しないからなのか。コピーしたプリントの数が足りなかった。以下のフロストの二つの詩について主に喋る。

その前提として、ぼくが用意しているのは、次のW.H.オーデンの考えである。

「われわれは美しい詩を欲する。いいかえれば、ことばによる地上の楽園、純粋な遊びの世界で、この世界と、解決できない問題や逃れられない苦悩をもったわれわれの歴史的存在との対照こそが、われわれに喜びを与えるのである。同時にわれわれは真である詩を欲する。いいかえれば、人生についてある種の啓示を与えてくれる詩で、それはわれわれに人生はほんとうはどのようなものかを示し、自己陶酔と欺瞞からわれわれを開放してくれるものだが、詩人はその詩に不確かなもの、苦痛なもの、無秩序なもの、みにくいものを導入しなければいかなる真をもわれわれにもたらせない。」(ロバート・フロスト論『染物屋の手』所収・中桐雅夫訳・晶文社)

「…フロストの詩は明らかに、そのことばに先だった経験、それなくしては詩が存在できなかった経験に対する反応である。なぜなら、この詩の目的は、その経験を定義し、そこから英知を引き出すことだからである。美しい言語的要素がないわけではないが―これは詩であって、知識を与える散文の一節ではない―それは重要性において、詩が述べている真理に従属するのである」(ib.)



 The Road Not Taken by Robert Frost

Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I―
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.





 Stopping By Woods on a Snowy Evening

Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.

My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.

He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound's the sweep
Of easy wind and downy flake.

The woods are lovely, dark and deep.
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.









フロストは毀誉褒貶かまびすしい詩人で、あるいはまた、忘れ去られたようになっている詩人でもあるが、オーデンのいう意味で、この現世のわびしい経験から、ささやかだがきびしい真を抽出した詩人として、今のぼくにはとても大切な詩人でもある。去年の読解(授業で扱った)に比して、今年は、The Road Not Takenという詩の曖昧さこそが、この詩のポイントであるということがよくわかったし、そのことを伝えることができたと思う。つまり、人生のある場面での意思決定の問題などとしてそれを絶対化して読むのではなく、もちろんそれを含むが、そののちに放棄するというか、放下するというか、一瞬の自己放棄(それはまた美に通ずる)の契機をとらえた作品ではないか、などと考えたのである。そういう点を Stopping By Woods on a Snowy Evening はよく表している。つまり、オーデンの言葉で言えば、真と美が、経験のなかで、経験を通して、背離相反しつつ一致する稀なる瞬間をフロストの詩はとらえている、その最良の詩は、などと思うのである。

じめじめした雨。電車のなかの耐えがたい湿気。帰宅してからの女房との会話。
「安心しなさい、大丈夫よ」
「何が?」
「オリンピックよ」
「ああそう、よかったね」
「よかった」

決まらないことが、決まりそうでないことが、
よかったのである、あの知事は許さない、絶対に、
その自己満足を自らの満足としたくはない、
「安心しなさい」

フロストならもっと上手く日常会話の妙を尽くして、この不満を持つ人々の真を描いてくれるだろう。

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