2010年1月18日月曜日

PETITION

オーデンの詩に、"PETITION"(祈願)というのがあって、

Sir, no man's enemy, forgiving all
But will its negative inversion, be prodigal

と始まる。

深瀬基寛訳によると、

「誰をも憎みたまうことなき御身よ、すべてを赦したまいて、
われらの意志の消極的倒錯を赦したまわぬ御身よ、惜しみなく与えたまえ、」となっている。

「意志の消極的倒錯」とは、オーデンにとって許すことのできない、彼が唾棄したパブリックスクール的、オックスブリッジ的な欲望のことで、従って神Sirも赦さないのである。神にSirと呼びかけるのはオーデンの発明ではなくて、稀有な宗教詩人ジェラルド・マンリー・ホプキンズが先蹤である。「意志の消極的倒錯」とはウィリアム・ブレイクの『地獄の諺Proverbs of Hell 』の一つ、"He who desires, but acts not, breeds pestilence. "(行動しない欲望は病をひきおこす)との関連があろう。すなわち、第一次戦争の「戦後派」であるオーデングループ(オーデン、スペンダー、ルイス、マクニース、イシャウッド等)にとっての「外部世界」へのアンガージュ、開かれた世界への乗りだし、そういうものの対極にあるあり方をnegative inversionと呼んだのである。

ロレンスの生の哲学も 「意志の消極的倒錯」を嫌った。

踏み出すべき「外部世界」、「偉大なる外部」というのが今あるのか、ありうるのか。「他者」をいくらでも変容し、あたかもそれが実在であるかのようにふるまう幻想、詩的幻想があるが、それは、このあるかどうか定かでない「外部世界」との関係の中でこそ、出現したり霧消したりするものなのではないのか。

現代の詩人が書いたものは、ほとんど「意志の消極的倒錯」の確かめのようなものに見えてしようがない。

0 件のコメント: