2010年8月14日土曜日

〈高度必需〉とは何か――クレオールの潜勢力

8月13日(金)
国立ロージナ。宗近夫妻、添田夫妻、瀬尾、雨矢、水島、計7名。宗近(「ポエティカ/エコノミカ」白地社)、添田(「吉本隆明 論争のクロニクル」響文社)両君のささやかな出版記念会。瀬尾さんがお二人にすてきな祝いの品(ペイパー・ウエイト)も用意してくれていた。いろんな話。「即自的悪」(添田さんの本にある言葉)をめぐって。「宗教性」をめぐって。「ホメオパシー」をめぐって。「メディアの無意識」をめぐって。日本は一年足らずで首相が交代するのも、天皇がいるからという無意識が、メディアの無意識としてあるから、あんなに世論調査で操作して、バタバタやめても平気なのだ云々。鳩山の問題を「言行不一致として、Mさんはとらえているなら、それはおかしい、それぐらいでアレントを持ち出してはだめだ、不一致でいいじゃないか、それを支えることを考えるべきだったのに、福島は一番だめだった、現実を追認するだけでは政治家ではない云々」。これはぼくへの痛烈な批判。久しぶりにゆっくりと話をしたような気がする。宗近さんからフランス土産、フォアグラの缶詰をもらう。彼は月曜日にパリに戻るとのこと。会の前に増田書店で富岡多惠子編「釋迢空歌集」岩波文庫を求む。

8月12日(木)
今年就職した教え子と飲む。蒲田の独身寮からお盆休みで八王子の実家に帰ってきた、一杯やりましょううれしい誘いがあった。八王子の南口の沖縄料理屋で飲む。彼は「ティーチ・イン沖縄」などを学生時代に主催者側としてがんばってやってきて、沖縄に寄せる思いは並々ならぬものがある。というわけで沖縄料理屋というわけでもないが。
会社(M総研というシンクタンクのようなところ)の話、今は研修期間のような勤務態勢だが、10月頃からは海外への出張なども含めて忙しくなるだろうということだった。飲み終わって勘定の時に私に払わせなかった。そのつもりで誘ったとのこと。ただ、うれしかった。

もう一人の教え子(高校が上記の子とは違う、年齢もこの教え子の方が上である)は中村隆之といって、今パリで研究生活を送っている。フランス文学のドクターで、専門はフランス語圏or県のカリブ島嶼のクレオール文学である。とくにエドゥアール・グリッサンの研究をしている。マルティニックに昨年一年滞在して勉強し、そこでグリッサンとも直接に会ったりもしている。その日録は中村のblog「OMEROS」http://mangrove-manglier.blogspot.com/で読むことができる。ところで、彼のそのblogによれば、岩波の雑誌「思想」の9月号(八月下旬発売)の特集に深く関与していることがわかる。教え子のために宣伝したくて書いているのだが、以下彼のblogからの引用。

去年の1月から3月までグアドループ、マルティニック、レユニオンで行われた長期ストライキは、ぼくにとってはちょっとした「事件」だった。何しろその翌月からマルティニック滞在をする予定でいたのだから。ぼくが到着したときには島はもう平穏を取り戻していた。だが、ゼネスト後の不穏な雰囲気はまだ街中に漂っていた。フォール=ド=フランス市街のスーパー「カジノ」は放火で閉店したままだったし、バスの中では運転手への強盗未遂も目撃したこともあった。この場所で起きたことを追想しようとしていたときに、ぼくが手に取ったのがエドゥアール・グリッサンやパトリック・シャモワゾーたちが書いた小さな小冊子だった。難しい文章だったが、グアドループやマルティニックの「今」を伝えると共に、知られざるこれらのフランス海外県の島々が抱える問題を日本で紹介するには、この文章はうってつけだと思った。その後、ご縁があり、『思想』をご紹介いただいた。最初はこの文章の翻訳を掲載するという話だったが、話が膨らみ、ついには特集企画という話にまで発展したのだった。その企画がついに実現し、9月号に掲載される運びになった。特集タイトルはグリッサン等の小冊子の題名にちなみ、「〈高度必需〉とは何か――クレオールの潜勢力」となる予定。一見何のことやら分からない題名だと思うが、彼等の文章を読めば、納得のゆくものであると思う。グリッサンの1981年の大著『アンティーユのディスクール』の部分訳ほか、カリブ海・沖縄・台湾を群島的に結びつける力作評論が揃っている。ぼくもまたマルティニック滞在を活かした論考を準備した。8月25日に発売の予定。お手にとってご覧ください。よろしくお願いします。


私はわくわくしながら発売を待っている。みなさまも今年の夏の最後の読書として、多分未知のフランス海外県の小さな島々の大きくて痛切なうねりを浴びてみてはいかがでしょうか。ここで出された問いはマルティニック諸島をこえて普遍的なものであり、この日本という先進国の核にある諸問題の解決への希求を励ましてくれるものであることを私は確信している。

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