2011年2月20日日曜日

渺たる滄海の一粟

―「嗚呼噫嘻(ああああ)、我れ、これを知れり。疇昔の夜、飛鳴して我を過りし者は、子にあらずや」と。道士顧みて笑う。予も亦た驚き醒む。戸を開いて之れを視るに、其の処を見ず」―というのは、蘇東坡の「後赤壁賦」の最後の数句なり。赤壁の下の江流にて客と遊びし折り、大いなる孤鶴の舟を掠めて西に飛去せるあり。その夜、夢に一道士現れ、「予に揖して言いて曰く、『赤壁の遊楽しかりしか』と」。「予」は件の夢なる道士の姓名を問ひしも、うつむきて答へず、とあり。その後に、冒頭に掲げたる、「予」の「ああああ、あなたは昨晩私の舟を過ぎった鶴ではないですか」という感嘆の問いの発せらるる場面。

頃日、「蘇東坡詩選」(岩波文庫)を読み、その簡潔率直なる文意に甚だ打たれき。中国宋代の変転きわまりなき(怪奇なる)政治場裡にて、かくのごとき詩人政治家、まさに大いなる孤鶴のごとき博大なる人間のありしに驚嘆すとともに、若干の希望をも抱けり。

19日、息子夫婦とその岳父母と、我ら二人を入れ計六人(三家族)にて飲む。愉快なり。
20日、日曜のnhkの囲碁トーナメント。秋山次郎が趙治勲を中押しで破る。痛快なり。

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