2011年2月9日水曜日

Now is the winter of our discontent

昨日63回目の誕生日。ディラン・トマスの「10月の詩」のフレーズ、It was my thirtieth year to heaven
を真似てIt was my sixty-third year to heaven yseterday と言ってみようか。ディラン・トマスは1953年39歳の若さでアル中のために死んだ。30や39歳ならまだ天国と言えるかもしれない。63ではちょっと苦しいが、願望をこめて。

今朝、雪降る中を学校に行く。模擬試験の監督が終わると雪は止んでいた。昼前には帰る。妻は用事で外出。光が射し込み、気温も上がる。気持ちを奮い立たせて散歩に出かける。10㌔余り歩く。湯殿川の源流を探りたいのだが、それはまたの楽しみにとっておこう。館(たて)町の浄泉寺という曹洞宗のお寺まで歩いてみた。

帰途の城址公園で、いつものメタセコイアの木の枝にいつものカワセミがいるのを発見。池の上を優雅に旋回し、この世ならぬその背の緑を惜しげもなく見せてくれるのだが、私の技術とカメラでは撮影不能。ひたすら静止しているところしか写せないのが残念である。五時過ぎに帰宅。

沙翁の「リチャード三世」の有名な冒頭の台詞、

Now is the winter of our discontent
Make glorious summer by this sun of York.

(やっと不満の冬も去り、ヨーク家にも輝かしい夏の太陽が照りはじめた)
というのをなんとなく思い出した。季節は確かに変化している。不満も輝きも人間が付加するに過ぎない。

 
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