2011年4月4日月曜日

さへの神のい添ひまもらさん岩手

正岡子規の明治三十四年(彼の死の一年前だが)の短歌、例の有名な「瓶にさす藤のはなぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり」の連作がある年だ。次のような連作もある。前書き(詞書)を含めてすべて書き写す。


岩手の孝子なにがし母を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でゝ今の美談となす。

たらちねの母の車をとりひかひ千里も行かん岩手の子あはれ
草枕旅行くきはみさへの神のい添ひ守らさん孝子の車
みちのくの岩手の孝子名もなけど名のある人に豈劣らめや
下り行く末の世にしてみちのくに孝の子ありと聞けばともしも
世の中のきたなき道はみちのくの岩手の関を越えずありきや
春雨はいたくなふりそみちのくの孝子の車引きがてぬかも
みちのくの岩手の孝子文に書き歌にもよみてよろづ代までに
世の中は悔いてかへらずたらちねのいのちの内に花も見るべく
うちひさす都の花をたらちねと二人い見ればたぬしきろかも
われひとり見てもたぬしき都べの桜の花を親と二人見つ


後の三首は子規自らの母への思いも(孝子になれず、かえって母と妹とに看護されるしかない病牀の人としての)潜めていよう。
三陸岩手を思っているとき、子規集をめくって「岩手の孝子」の歌を目にすることができたのも何かの縁だろう。明治29年の大津波、昭和8年のそれを思い、そして今回の激甚なる被害を見るとき、「いのち」の不条理な変転を思わずにはいられない。「子」としての、「親」としての「いのち」の。
「さへの神」は旅の安全を守る神であるとともに悪霊の侵入を防ぐ神でもあるという。子規の歌のように、被災地の人々の「いのち」の「旅」を、どうか「い添いまもらさん」ことを。

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