2010年7月16日金曜日

An apple a day

 今日、山の下東の最後の授業。5月の末から、週に二日で5時間の授業だった。9月からは大学の後期の授業が始まるので、とても一緒にはできない。1年生の最後の授業(70分)だった。漢詩入門をやってくれということだった。昨日の70分は、一海知義の「漢詩一日一首・夏」(平凡社ライブラリー)から「七夕・范成大」の所をプリントして、「古詩十九首」の第十首にある、例の「迢迢牽牛星、皎皎河漢女」から始まる古詩などを読みながら七夕の由来を紹介したりした。そしてそれが乞巧奠とも呼ばれ裁縫の上達を願う民間の祭りでもあったことなども話す。冷泉家の展覧会では、宮中に伝わる乞巧奠の儀式が展示されていた。そのあと、杜甫の深刻な社会批判の詩も紹介した。要するに、押韻の規則だとか絶句、律詩などということをすぐにやりたくなかっただけだが。
 今日は、いよいよ漢詩の決まりのことなどをしゃべらなければいけないのだが、また迂回して、英詩のナーサリーライムなどをプリントして、その脚韻rhymeや頭韻alliterationのことなどを説明した。それに谷川俊太郎のオノマトペ中心の詩を二編ぐらいプリントした。プラス「二十億光年の孤独」から「ネロ―愛された小さな犬に」も。そして井伏鱒二の「厄除け詩集」から于武陵の「勧酒」の名訳、「サヨナラ」ダケガ人生ダ(これは教科書に「勧酒」が載っているから)をプリントして配布する。とくに日本の自由詩と定型詩の違いなどを含めて、英詩や漢詩の世界を壮大な展望?の下に喋ってやろうというつもりだったが、うまくいったかどうかは分からない。(私の願いは漢詩の授業の時いつも思うのだが、中国語ができたならということだ。残念ながら学ぶ余力はない)。
 最後の挨拶などしたら、また来て下さいなどと愛想のいいことをいう男子生徒などもいた。

ということで、なんとか(山の上学校と山の下学校の期末テストのために、私は都合6個の異なる試験問題を作らざるを得なかった、これは長い教員生業のなかでもはじめてのことで、ほとんど生きる気力を失うばかりの、大袈裟?、仕事だった、その後の採点、成績付けなどをふくめて。しまいには夢に、別の高校でも教えていて、その試験問題を作るのを忘れてしまっているのではないかという疑いに攻められて、飛び起きたこともあったほどだ。)乗り越えることができた。この反動が自分ながらこわいのだが、今はとりあえずゆっくりしたい。

2 件のコメント:

miz さんのコメント...

本当におつかれさまでした!

ban さんのコメント...

18日のライブ、頑張って下さい。
おたがいあまり無理をしないこともひつようですね。