2010年7月15日木曜日

ここにもひとり

 今日は、山の下東で70分の授業をする。昔だったら、試験休みで、生徒も教員ものびのびできたのに、約十年あまり前から、都教委は「試験休み」などという「慣行?」を破壊して、いや、すべての「有意義な」「慣行」(この否定的なことばの響き!)を含めて破壊する「改革」を続行してきた、そのせいで、この耐えがたい湿度と暑さのなかで、午前中70分の授業を三時間、この山の東では率先して?やっているのである(いや正確に言えば、すべての都立校がこれに似たことを強いられてやらざるをえないのである)。1年生の授業だが、みんなすこぶる真面目で一言も不満の声は出ない。私は耐えかねて言ってやった、「みなさん、よくがまんできますね。昔は、今の時期はみんなが好きなこと、バイトやら、恋やら、読書やら、遊びやら、そういうことに熱中できる貴重な時期で、勉強のことなど全然気にかけなかったのですよ、云々」。沈黙、失笑、……。
 でも、でも、生徒たちの表情はなぜか私には救助を求めるもののごとくに見えたのである。引退した人間の無責任な観察と言われればそれまでだが。

 山の下東から、国立公民館、芭蕉の俳諧について話す。ときどき、だれに向かって話しているのか(年齢を越えた共感、共苦もあるのだということ)わからなくなった。そこで話したなかの「去来抄」の有名な一節は、

○ 岩鼻やこゝにもひとり月の客    去來

―先師上洛の時、去來曰、「洒堂ハ此句ヲ月の猿と申侍れど、予ハ客勝りなんと申す。いかゞ侍るや」。先師曰、「猿とハ何事ぞ。汝此句をいかにおもひて作せるや」。去來曰、「明月に乗じ、山野吟歩し侍るに、岩頭また一人の騒客を見付たる」と申す。先師曰 、「こゝにもひとり月の客ト、己と名乗り出づらんこそ、幾ばくの風流ならん。たゞ自稱の句となすべし。此句ハ我も珍重して、笈の小文に書入れける」となん。(中略)退て考ふるに、自稱の句となして見れバ、狂者の様もうかみて、はじめの句の趣向にまされる事十倍せり。まことに作者その心をしらざりけり。―

 「ここにもひとり」と、生徒や同年配の人々に、私も「名乗り」をあげたかったのである。ただ、見ている人でなく。私もあなたたちと同様に、…… と。                      

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