2010年7月20日火曜日

あつしあつし

 暇になったので、散歩を再開した。6月の後半から7月中旬にかけての机周辺の不健康な仕事がたたって、体重も何もかも「重くれ」という感じになっていたこともある。
梅雨が思わぬ災害をもたらしながらやっとあがったと思うと、この暑熱地獄である。一時間半の歩きを再開したのはいいが、ハーハーゼーゼーの体たらく。しかし、今4日連続更新中、ひたすら歩くだけ。朝の6時から7時半まで、朝できなければ午後の4時半から6時まで、この時間帯は引退人間だから可能なのだが、もう少し朝は引き上げ、午後は引き下げるほうが、この暑さ対策を考えれば妥当であろうか。
 
 田んぼが数枚気持ちよい川沿いの場所がある。それを見ると先の豪雨で完全に冠水というか、漬かってしまった九州や中国の稲田の映像がダブる。あれらの田んぼはもうダメなんだろうと思うと痛ましい。
 
 芭蕉の「猿蓑」の二番目の歌仙は「市中は物のにほひや夏の月」ではじまる。
    市中は物のにほひや夏の月   凡兆  
     あつしあつしと門々の声   芭蕉
    二番草取りも果さず穂に出て  去来

その第三の「二番草取りも果さず穂に出て」という去来の句を、稲田のそばを通るたびによく思い出していた。太田水穂の「芭蕉連句の根本解説」に、二番草の説明として「二番草というのは、植付けてから二番目に取る田の草をいふ。一番草は陽暦では七月上旬、二番草は八月上旬ごろと見てよい。三番草まで取るのが普通になってゐる」とある。…今年は陽気が暑いので、二番草も取らないうちから稲が穂に出てしまった…というような意味である。豊作の予感ということだろう。二番草を取る暇もなく水没してしまった稲田も、この現代にあるのだということ。その稲田はおそらくは地方に残った高齢の人々の労作の賜物であったろう。
 
 野菜直売所という幟が無風に垂れ下がっている。朝方の販売も始めたらしく二三人自転車を止めている。時々は私もここで買う。立ち止まって物色していると、たどたどしい日本語でトウモロコシを求める女性がいた。三本頼んでいて、いくら、と訊いている。頭巾に手甲というのか手袋の顔見知りのここの農婦?が、三百円と答えると、躊躇して「私、高い」と客の女性は言う。そして二本に改めた。聞いていて、心痛むやりとりだった。その女性が自転車で急いで立ち去った後に、九条ネギだと農婦が言うネギと茄子を合計200円で私は買った。そのビニール袋をぶら下げ、次第に強まる陽射しにあえぎつつ私は歩いた。

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