2008年7月31日木曜日

Kay Ryanの詩

旧聞に属するが、7月17日のnytimes.comで読んだ記事に、次のような見出しのものがあった。
Kay Ryan, Outsider With Sly Style, Named Poet Laureate

イギリスの方が伝統のあるものだろうが、アメリカにもPoet Laureate、訳せば「桂冠詩人」となるのだろう、そういう「役」があって、国会図書館の図書館員によって毎年選出されている。その任期は、その年の十月から来年の五月までで、その仕事は国会図書館が主催する毎年の詩のシリーズで講演と自作詩の朗読を行ったり、他の詩人や作家たちの、図書館にあるアーキーブをより充実させる協力をしたり、それに強制ではないが、自身の発案したプロジェクトで詩を子供たちから大人までに広げる啓蒙的な活動に取り組むことも求められている。ブロツキーはそのPoet Laureate任期中に詩を飛行場やスーパーマーケット、ホテルの一室などで提供したという(どうしたのかくわしいことはわからない)。賞金もあって、3万五千ドルという。400万円近いということか。名誉職というより、けっこう充実した仕事のようである。ぼくが先日書いたBilly Collinsという詩人、この詩人は日本でも知られているようで、谷川俊太郎などの詩にも言及されていた、そのことを教えてくれたのは思潮社の髙木さんだった。Billy Collinsも何年前かのPoet Laureateであった。一番古いところでぼくが知っているのはロバート・フロスト。

さて、そのPoet Laureateに今年選出されたのが、62歳のKay Ryanという女性である。
Outsiderとあるが、この記事によると、彼女自身、公共の場に出ることがとても嫌な、内気な人間だったと述べている。全国芸術基金(National Endowment for the Arts)の議長で、早くからのKayの支援者だった詩人Dana Gioiaという人は、彼女の詩にはどこかDickinsonを思わせるものがあるという。

総じて、小さなイメージを通して、日常の事物や日常の情感の繊細さや深みを見せる、描く詩人である、というようなことが書かれている。

ぼくが面白く感じたのは、この詩人が書くことに開眼したのは、U.C.L.Aを卒業して、1976年にカリフォルニアからヴァージニアまで80日間の自転車旅行をしたときだということである。コロラドのロッキー山脈のthe Hoosier Passという峠で、信じられない開眼、啓示のようなものを受けたという。面倒くさいから原文で引こう。
― “… an absence of boundaries, an absence of edges, as if my brain could do anything.”― 

こういうすべてが取っ払われた広大な景色が、それまでの不全感を打ち砕いたのか、それとも抑圧されていた書くことへの欲望が全開したのかよくはわからないが、彼女はそこで自らに” Can I be a writer?”と問いかける。その答えは、次のような質問となって返ってきたという、”Do you like it?” で、もちろん、” So it was quite simple for me. I went home and began to work.”

でも、Kay Ryanの仕事が評価を受けるようになるためには、それから20年ほどの歳月を要した、晩熟だったわけだ(いずれにせよ詩人の仕事をちゃんと認める公共的な場があってのことだが。)Kay Ryanは「みんな、即座の成功を望む All of us want instant success」
といい、自分は遅くてよかったというようなことを述べる。この英語はとても面白くてイメージはよくわかるが、訳しようがない、こういう言い回しがあるのだろうが。まず、みなさん、コーヒーをドリップで入れるときを想像してください、ぽたりぽたりとゆっくりとコーヒーは漉されて落ちてきます。” I’m glad I was on a sort of slow drip.”

彼女はパートナーの女性Carol Adairと長年一緒に暮らしている。

こんなに自らを公衆にさらすのが厭わしかった女性に、この仕事は勤まるのだろうか?
彼女の現時点での答えは、哲学的なものである。「われわれが認めようが、認めまいが、われわれは完全に曝されている」utterly exposedという答え。

この記事に紹介されていた、この人の詩はつぎのようなもの。一部だろう。

The Other Shoe

Oh if it were
only the other
shoe hanging
in space before
joining its mate.

片割れの靴のイメージ、それだけでよかったのに、ということかしら?

Shark’s Teeth

An hour
of city holds maybe
a minute of these
remnants of a time
when silence reigned,
compact and dangerous
as a shark.

(跳躍的超訳)

一時間の
街はあるいは
これらの断片、時の
一分を抱いている
沈黙が支配するとき、
コンパクトで危険な
鮫のような。

貧弱な文化行政の国で、商売のためにのみ本が、あるいはそういう本が出回る市場に生きている極東の詩人たちにとって、最初から最後までOutsiderで終わるしかない運命の詩人たちは、もっともっとslyな狡知に長けた詩を書くことしかないのかも。

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