2009年5月7日木曜日

精神的に向上心のないものは馬鹿だ

漱石「こころ」、「下」の第41節、「先生」が「K」を上野公園で、やっつけるところをYale大学のEdwin McClellan教授は次のように訳している。

I waited no longer to make my thrust. I turned to him with a solemn air. True, the solemnity was a part of my tactics, but it was certainly in keeping with the way I felt. And I was too tense to see anything comical or shameful in what I was doing. I said cruelly, “Anyone who has no spiritual aspiration is an idiot.” ……(中略)
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…… I said again:” Anyone who has no spiritual aspiration is an idiot.” I watched K closely. I wanted to see how my words were affecting him.
“ An idiot …”he said at last. “Yes, I’m an idiot.” (以下略)


「お嬢さん」をめぐって、親友同士が演じなければならない悲劇の始まりが見事な英語で訳されている。緊迫した感じもよくとらえられている。ところで、その訳者について、昨年話題になった『日本語が亡びるとき』の著者、水村美苗は次のように、その本の「あとがき」に書いていた。

言語について思考するのがいかに困難でありながら大切なことであるかを学んだのは、昔、イェール大学で仏文学を専攻していたときである。ポール・ド・マン、ショシャナ・フェルマン、マリア・パガニーニの諸先生に感謝する。また、当時、加藤周一氏、そして柄谷行人氏が日本文学を教えるために招かれていた。まったくちがった視点からだが、まだ二十代だった私がお二人から日本文学にかんする色々な話をじかに聞くことができたのは実に幸運だった。さらにそのころはエドウィン・マックレラン先生が日本近代文学を教えていた。日本近代文学をあそこまで愛し―漱石のこの部分がいいという話になると、ほとんど涙ぐまれたりした―くり返しくり返し読んでいた人物を私はほかに知らない。アメリカで育ったゆえの恵まれた出会いであった。


「日本近代文学をあそこまで愛し―漱石のこの部分がいいという話になると、ほとんど涙ぐまれたりした―くり返しくり返し読んでいた人物を私はほかに知らない。」と水村が言うエドウィン・マックレラン先生の訃報を今日の朝日の夕刊で知った。それも引用してておこう。

【ニューヨーク=田中光】夏目漱石の「こころ」「道草」など日本文学を英訳した米エール大学名誉教授(日本学科)のエドウィン・マクレランさんが4月27日、肺がんのため、コネティカット州ハムデンで死去した。83歳だった。
 1925年、神戸市生まれの英国人。「こころ」のほか、志賀直哉の「暗夜行路」や吉川英治の「忘れ残りの記」を翻訳するなどして、94年に菊池寛賞、95年に野間文芸翻訳賞を受賞している。


そして今晩の8時から、NHKの番組で、ドナルド・キーン先生の特集を観る。梁石日(ヤン・ソギル)をわざわざニューヨークに派遣しての対談インタビューの形式である。このコンセプトがぼくは全然わからないし、番組自体も対談者二人が日本に対する異質な二人の他者というような考えで、日本文化や文学を相対化するということでもなかった。ただ、二人のたたずまいの違いはみょうに印象深かった。

私はキーン先生のすべての業績に通じているものではないが、しかし、その偉業を讃嘆する。そこから学びたいと思う。

マックレラン先生 83歳で死ぬ。
キーン先生、86歳でヤン・ソギルに誠実に話していた。マックレラン、キーンの二人、そのような日本文学の研究者に会いたいものである。とくに日本人の。

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