2009年5月29日金曜日

母音日記

ポルトガル・ワインの輸入販売をやっている八王子の「播磨屋」に初めて行ってみた。事務所のような小さなお店。主にネット販売をやっているためか。

 二本で2千円もしなかった。この安さに驚く。並行輸入?のようなことか。 仲介を立てないからこんなに安いんだろう。私はワインは苦手だったが、最近そうでもないぞと思うようになった。ポルトガルのワイン、といってもまだ二、三回飲んだのみだが、これに特化して飲んでみようと思っている。理由は別にない。播磨屋があるからということにしておこう。これが今日の外出。そして今DAO(Aの上には~のような記号がつく・ダンと檀一雄が好み、そのダンと発音が似ているということから日本ではそう読んで、呼んでいるが)を飲みながら書いている。あと少しで無くなる。なんか自分がブコウスキーになったようで元気が出てくる。

 雨が降り、草の青さが目にしみる五月の終わりの日
 二つのことを思う、一つはその草の青やかな色で、
「我が心夏の野邊にもあらなくに繁くも恋の成りまさるかな」
 もう一つは和泉のこの歌。
 しかし「草のいと青う生ひたるを見て」という詞書きがあって、
二つは分かちがたい
 
 すべてを思うのだ。
「五月の終わりの日に
 雨が降ると草の青さが目にしみる」
 青い、日本語の母音の連続のなかでも一番の渇きだろう
 逢う、夏の、野邊のような心に、恋い、生まれ、成りまさるのだった
 日記を書きたくなる
 「…四月十余日にもなりぬれば、夢よりはかなき世の中を、築土のうへの草あをやか…」
 すべてが母音で書かれている日記。

 鳥たち つれづれ 存在
 こう書き出してみる、雨もよいの川の空を散歩していたときに
 低空で、きみの鵜(う)が水を嘗めるように溯行した
 つれづれを支配する王者よ
 しきりにきみを呼ぶ呼ぶ子鳥の変幻する声に耳を貸すな
 蓮の花がその存在を剥き出しにする静かな朝
 
 クサノイトアオウオイタル
 宣長の国学では解けない母音の夏がはじまる
 (ダンというワインをポルトガル)
 (日本的であるとは、その語の品位ある意味を求めれば
 わずかにアジア的であるということだ)
 ペソアを真似てみる、ふりをしてみる、日記を書いた。

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