2011年3月21日月曜日

ゆき暮れて

震災10日目。しこりのように福島第一原発の状況が胸につかえている。地震と津波による被災地支援と復旧・復興は完全ではないが、その緒につきはじめたようでもある。それに対して「原子力」と「放射能」の問題は依然としてその、「災厄」の始まりに留まっており、その終息は見えない。レスキュー隊や自衛隊、現場で働いている東電その関係の人々のまさに献身的な努力とこの人たちの無事に対しては深い感謝と祈りを捧げるしかない。しかし、「いまのところ…ではない」とか「ただちに…するものではない」などという日本語特有の言い回しで世論を繕う、あるいは作るメディアや御用学者たちの無責任な言説ではなく、そこで起きている真の「事実」の開示と、それに基づいた(たとえそれが最悪の事実であれ)責任ある「避難」を含めた「指示」がもっとも今望まれている、と私は思う。

彼岸の中日、春雨料峭。閉じこもるのみ。解酲子にならって私も「方丈記」を再読してみた。
やはり、今から826年前、元暦2年(1185・7月9日)の大地震を記述したところが印象に残る。

…山は崩れて河を埋め、海は傾きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出て、巌割れて谷にまろび入る。…地の動き、家の破るる音、電(いかづち)に異ならず。家の内にをれば忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるはただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。かくおびただしくふることは、しばしにて止みにしかども、その名残しばしば絶えず、世の常驚くほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、或いは四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたその名残三月ばかりや侍りけむ。


余震の回数、それが三ヶ月ばかり続いたというところなど、実際に経験した人でないと書けない。

ゆき暮れて雨もる宿やいとざくら     蕪村

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