2008年8月1日金曜日

カリブと盛岡の風

昨晩は、明治や法政でフランス語の非常勤をやっている教え子と、彼の後輩でペルシア文学を東京外大の博士課程で研究している女性と、三名で八王子で飲んだ。

Oさんというその女性とは初対面だったが、とても感じのいい子だった。二人ともぼくの息子と同年代だ。この世代は結構苦労しているな、と思う。いわゆるロス・ジェネの世代で、いろいろ言われるが、彼らの生まれる前のことまで触手を伸ばそうとする姿勢がある。教え子のNはカリブ圏の文学、エドゥアール・グリッサンが専門で、博士号もそれで取った。そこから沖縄に手を伸ばして、今度「未来社」から共著だが、本を出すということだ。

Oさんがペルシア文学専攻というので、酔っ払ったぼくは、「わたしはあなたがすきです」とペルシア文字で書いてくれと頼んだ。小さな流麗な書体で箸袋に右から左へと書いてくれた。彼女は、ぼくに進呈するということで持ってきた、高校時代の自分の詩やエッセイ、書の作品などをまとめた本、母上が高校卒業記念にということで作ってくれたという、その本を頂戴した。そのなかの書のすばらしさ、千字文や金文を書いたものなど、高校時代に文部大臣奨励賞をもらっている。

とても惹かれるものがあった。それは齊藤茂吉の、

「沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ」という歌集『小園』から選んだ一首だ。

これは第48回全日本学生書道展(半切の部)金賞、平成十年のもの。ちょっとすごいね。
カリグラフィの特技はペルシア文字・文学にも生かされているのだった。土曜美術出版社からイランの現代詩の翻訳を出すということだ。何かの選集の訳者の一人として。Oさんは盛岡の出身である。母上、吉田美和子は『宮澤賢治 天上のジョバンニ・地上のゴーシュ』(小沢書店)、(この題名とてもひかれる)の著者であり、最近は蕉門十哲の一人、越人の研究もなさっているという。尾形亀之助も。母上、吉田さんの『木槿通信』という雑誌も頂戴した。

この聡明で優秀、しかしそれを少しも鼻にかけない若者二人と飲んでいて、ぼくは嬉しかった。そのあまりに、二次会まで彼らを誘い出し、そのかみの行きつけの寿司屋「江戸勢」でまた飲みなおしたのだった。

今日、N君から頂戴した東大大学院総合文化研究科国際社会学専攻という長たらしいところから出ている論集『相関社会科学 第17号』に載っている、公募で選ばれた彼の論文『フランツ・ファノンとニグロの身体』をじっくりと読んだ。読み終わってN君の目指す方向性がよくわかった。ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』1952年の再読を通して、N君はそこにある、混迷と錯乱、散文化できえぬものの沸騰を評価することで、汎アフリカ的本質主義的なアイデンティティ(ネグリチュード)への回帰や後期ファノンのアルジェリア独立運動への没入からつかみだされた「革命的な民族」の創出とも違う、独自なファノン像の端緒を開示しようとしている。

これは難しい問題をすぐに呼びおこすかもしれないが、とくにこういう視点で沖縄独立論者たち、新川明にはじまる彼らの読み直しをやろうということだとぼくは思った、そういう試みの貴重さゆえに、彼のこれからの営為をぼくは静かに見守っていきたいとつくづく今日思ったのである。負けるな!


「ひぐらしのかなかなとなきゆけばわれのこころのほそりたりけれ」

これは茂吉やぼくの心境。

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