2008年5月2日金曜日

五月に

季節はずれの歌について書く。友人から頂戴した、―吉田秀和『永遠の故郷 夜』歌曲選集―に入っているR・シュトラウスの歌曲《万霊節》のこと。友人はこの曲を二人の歌手のCDから入れてくれている。一つはブリギッテ・ファスベンダーの歌、もう一つはジェシー・ノーマンが歌っているもの。二人の歌の優劣ではなく(ぼくに、そんなことができるはずはないが)、この詩がとてもいいので書きたいと思った。ドイツ語は読めないけど、鬚のようなものが幸にもあまりついていないので書き写してみる。訳は秀和さんのもの、その本から。原詩はヘルマン・フォン・ギルム。

Allerseelen

Stell’ auf den Tisch die duftenden Ressden,
Die letzten rotten Astern trag’ herbei,
Und laß uns wider von Liebe reden,
Wie einst im Mai.

Gib mir die Hand, daß ich sie heimlich drücke,
Und wenn man’s sieht, mir ist es einerlei,
Gib omir einen deiner süßen Blicke,
Wie einst im Mai.

Es blüht und duftet heut’ auf jedem Grabe,
Ein Tag im Jahr ist ja den Toten frei,
Komm an mein Herz, daß ich dich wieder habe
Wie einst im Mai,
Wie einst im Mai.


 万霊節

よく匂う木犀の花をテーブルにのせて
そこに赤い残菊をつけそえよう
そうやってから もう一度愛を語ろうよ
かつて 五月 そうしたように

手を出して ぼくにそっと握らせて
誰かに見られたって かまわない
たった一度でいい 君の甘い眼差しをくれないか
かつて 五月 そうしたように

今日はどの墓にも花が咲き 香が漂う
そう 一年に一日 死者たちが自由になれる日
ぼくの胸に来て またぼくのものになっておくれ
かつて 五月 そうしたように
かつて 五月 そうしたように


 「万霊節はカトッリクの祭日で11月2日、日本の秋の彼岸みたいに、みんなが死者を悼んでお墓詣りにゆく日」と秀和さんは書いている。そこから言えば、季節はずれだが、でもまぎれもない五月の詩。失われた切ない五月の詩。Wie einst im Mai.のリフレインをR・シュトラウスがどのように処理しているか、これは聴くものだけに許された歓び!

この曲で「五月」を知らされた。そこからシューマンの「詩人の恋」の冒頭の曲、ハイネの’ Im wunderschönen Monat Mai’が聴きたくなり、それを聴いた。「リーダークライス」もついでに聴いていると、詩はすべてアイヒェンドルフではないか。吉田秀和のこの本の中で、一番力を入れて書かれているのが、R・シュトラウスがその死の前年に作った歌曲、「四つの最後の歌」についてだが、これはヘッセの三つの詩と、アイヒェンドルフの《夕映えの中で Im Abendrot》という詩に曲をつけたものである。秀和さんは、このアイヒェンドルフの《夕映えの中で Im Abendrot》という詩とその曲について、ちょっと凄すぎる鑑賞をしている。このことについても書きたいが、もう疲れた。でも、Im Abendrotは傑作です。

五月、今は雨が降っている。

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