2008年5月13日火曜日

短歌の功徳

○ 我が生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ (茂吉『つきかげ』)

茂吉晩年の歌集の一首だが、この歌について鮎川信夫の以下の鑑賞がある。

―― 平凡な、とりたてて言うことのなさそうな歌である。それなのになぜこの歌が心に残ったかと自問してみると、全く個人的な理由からである。
 私の家では、納豆を食膳に供するという習慣がなかった。それで、たまたま気づいたときに「おのがため」それを買い求めるくせが、私にはあったのである。
 若い時なら、そんなことはあっさり見過ごされる。しかし、働きが鈍る老境ともなれば、話が違ってくる。「おのがため」にする一切の挙措が、孤独の影を帯びるようになる。それが、納豆を買うというような、些細なことであれば、なおさらそのみじめさはいやますのである。――

 「そのみじめさはいやます」というところに鮎川自身の晩年の「みじめさ」を見つめる姿勢が毒のように出ていて、茂吉の悠悠然とした耄碌ぶりを相対化している。この歌に「孤独の影」を読みとるのは鮎川の視点である。と、書いて読み直すと、不思議なことにこの歌がそう読める。読むものによってこそ、読まれるものは輝きもし、鈍くもなる。

 腰折れにならないように、何か代入できないか。

○我が生はかくのごとけむおのがため(     )帰るゆふぐれ

①口笛吹いて
②食パン買ひて
③奉仕に疲れ
④万馬券買ひ
⑤人を殺して
⑥棺をかつぎ
⑦夜スペ開き

もとより、「納豆買ひて」にかなうはずはない。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

(  )内に代入のわが解答のコトバは、一合を得て、であります。
折口の晩年には、こんな歌もありましたっけ。(表記は自まま)

人間を深く愛する神ありてもし物言はばわれのごとけむ