2008年6月10日火曜日

歌を歌う

 今日は、吉田正の命日ということで、nhkの歌謡番組を、97歳の義父と一緒に見る。昭和23年の「異国の丘」に終わる、吉田の歌のメドレー。驚いたのは、80歳過ぎの、三浦光一がまだ生きていて、歌ったことだ。もう、何を彼が歌ったかは忘れてしまった。鶴田浩二の映像もあり、彼が歌う「街のサンドイッチマン」なども聞いた。とても官能的な歌いぶりで、人間もそうである。途中から見たのだが、女房が、ジェロという若者も歌い、キーが合わないようだったが、それをまとめきった歌いかたは、さすがだったというようなことを言った。あとで、ジェロが自分の「海雪」を熱唱するのを聞いた。この歌は、秋元康の作詞だが、この詞はよくない。ただ、直観的にそう感じた。あと、橋幸夫とか三田明、八代など。耄碌が進んだ義父に、一緒に歌おうよと言いながら、最後の「異国の丘」を女房も入れて三名で歌う。老猫がびっくりしていた。一生懸命、回らぬ口を動かして義父も歌ったようだ。

 戦後歌謡史のなかで吉田正の曲はどう位置づけられているのだろうか。ド演歌でもない、またポップスでもないその中間を描き続けてきた人というのが、私の感想である。いわば、「健全なる中間層の健全なる歌」。その幅広さも、そういう中間層(戦後民主主義の担い手たち)の存在があってこそ、だったのだろう。この国の最近の政治は、その中間層をぶち壊しに壊してきた。

 白いハンカチでマイクを清めつつ、小指を立てながら歌う鶴田は特攻隊に連綿とした未練の思いがあったにせよ、吉田正の歌を歌うときが一番幸福だったのではないだろうか。

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