2008年6月20日金曜日

連詩『卵』5


雲の上、太陽の黒点が増えてゆく
路面にあいた無数の穴が土色の水を溜めている
男は交差点を左折して
向い側の白い壁の割れ目に入っていった
パソコンに向かうと
色のない夢の中のように体が冷えてくる      (豊美)


成城学園前から千歳船橋へ
千歳船橋から千歳烏山へ
バスで移動した。
ちがう街の空気、穴と割れ目の
隠し方をそれぞれに工夫しているから
卵にむかう理由も変化する。         (健二)


片倉の蓮池で翡翠を見た、2度目だ。
望遠レンズのカメラたちもじっと見つめている。
とても小さな、それでいて梅雨空を輝かせる宝玉。
水面に垂れている細い枝に軽く止まっていたが、
水に突っ込むと、スーッと空に上昇して行った。
そのことを思っていた、その姿も。          (英己)




白眼断片

いろんなことが雑然と目の前に浮かんでいて、まとまりがつかない。強いてまとまりをつけるようなものやことではないにしても。火曜日だったか、宮崎勤の刑が執行されたが、それに関して翌日の朝日新聞に大塚英志が寄稿していた。ここ20年で失われたものは、この社会自らが、「事件」の責任主体として考える、という姿勢、そういう姿勢の喪失であるというような論旨だった。ネオリベの高揚と市場原理の制覇で、格差や勝ち負けこそが、シビアで「現実」的かつ「理性」的であるかのような考えの趨勢が社会の成員すべてを覆いつくした20年であったのかもしれない。そこから、戦争こそが希望であるというような、その論旨はそれなりに納得的ではあるが、過激な論が、90年代の、いわゆる「失われた世代」から提出された。

もと右翼のパンクロックに身をやつしていた少女は『生きさせろ』を書き、不安定な雇用(雇用形態の自由化という資本の勝利の反面)に命を削られるプレカリアートたちの女神、代弁者になる。こういう変化に私が反対する理由はなにもない。一方で薬害問題に積極的に取り組み、その元凶を追いつめた女性のニュースキャスターは、見るも無残な国家主義者に変貌した。

都知事は、その居直り主義と無反省の極みをどこまでも突き進むのが己の生きる道であるかのように、今なお他を批判しつつ、己がしたことすべてを「棚上げ」して、しかもそれを人に拝めと言わんばかりである。

朝日の「素粒子」が、昨日か、鳩山法相を痛烈に批判した。彼に「死に神」というあだ名を捧げたのである。それを読んで、溜飲が下がったのは私ひとりではないはずだ。「**鬼」といわれるよりはましであろう。
好きな蝶のコレクションでもしていればいいのに、どうして、こういう人が、大臣などになるのだろうか。それも、「死刑」というような国家の刑罰をいまだに残している野蛮な国の所轄の大臣に。

グリーンピースの成員で、調査捕鯨で捕った鯨肉の一部が、お土産のようなものとして、船員やその会社の人たちに配送されていることに腹をたて、配送会社の倉庫から、その送られる鯨肉を「証拠」として、持ち帰った二人が、逮捕された。盗みと建造物侵入の罪に問われたのである。日本グリーンピースの代表、星川淳はこれに対して抗議した。二人は逃亡することはなく、そもそもこれは悪の「証拠」として押収したものであると。私も逮捕されるようなことではないと思う。思うが、このグリーンピースのやりかたには反対である。
お土産として、調査捕鯨に参加したすべてのものや、その所轄の官庁の幹部などにも、鯨肉は配られたことはだれがみても明白なことであろう。それが日本のやり方。そのことをだれも悪いこととは思っていないし、ここにはノスタルジアをふくめて「鯨肉文化」というのもあるくらいだから。それらを欧米流のグリーンピースのやり方で、即破壊しようとしても不可能なのではないか。逮捕したのは、サミットを前にした過剰警備の始まりであることだけは確かだ。(星川淳は、私の記憶によれば、屋久島在住の英文学者で、alternativeなアメリカ先住民の文化などの研究で知られた人だ、私は彼がグリーンピースの日本代表であることを今日はじめて知った。)

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