2008年6月18日水曜日

連詩『卵』3、4


わたしは生きる、と書いたあとに
撮影所に出る川べりを歩いている。
ひとつの主題として
梅雨空の下の容器から
音楽のなかに卵をとりだす。その前に
黒い点となって消えようとする人影を追った。 (健二)


蜜蜂たちの大量失踪の映像を見たあとに
受粉を待つ雌蕊のことを思った。
果実、卵、すべての無言の形が消えて、白い
鋼の色が叫んでいる交差点。
「ないということさえない」破れた殻のなかに
小さな鼓動とかすかな蜜の味、浅い朝に。  (英己)


雲の上、太陽の黒点が増えてゆく
路面にあいた無数の穴が土色の水を溜めている
男は交差点を左折して
向い側の白い壁の割れ目に入っていった
パソコンに向かうと
色のない夢の中のように体が冷えてくる      (豊美)


成城学園前から千歳船橋へ
千歳船橋から千歳烏山へ
バスで移動した。
ちがう街の空気、穴と割れ目の
隠し方をそれぞれに工夫しているから
卵にむかう理由も変化する。         (健二)



(ノート)
連詩の掲載の仕方を考えている。いつでも三つの詩が読めるように載せるほうがいいかなと思う。つまり、三名の、そのとき一番新しいものが、最後に来るようにして、掲載してみようかなと。あまり長くなると、読むほうもだれるのではないか。次回からためしてみる。

(日記)
21日に、福間さんが書いたように、国立の『奏』で、7時から『詩を語る夕べ』をやるのだが、そのときの話の糸口になるような質問を考えている。たとえば、

<近くから>
①ぼくたちにとって、詩を書く、詩を読むというのは、どういう経験でしょうか?
②その経験にはどのようなリアリティ、アクチュアリティがありますか?
③「詩」について、まず思い浮かべることは、どういうことですか?
④「詩」以上の「詩」というのはあるでしょうか?
⑤読まれないといわれる現代「詩」を読むことの意味は?書く人はそれでもいますが。


<遠くから>
①詩(文学)・映画・思想、これらを横断するイメージがありますか?
②最近の事件について、たとえば秋葉原での「事件」、どう考えますか?そのことは「詩」を書くこととどうつながり、あるいはつながらない、と考えますか?
③この「社会」は、60年、70年、80年、90年、現在と構造的な変化をきたしていると思いますか?私はそう思いますが、そのことは上の事件や、「詩」をめぐる状況とも大きな関係を持っていると思います。そのことについて、ご意見があれば述べてください。
④今の自己を支える、あるいは支えになるかもしれない「何」かが、ありますか?どんなことでもいいですから、あれば答えてください。




 

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